こんにちは。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
年度初めって、割と気が重いです。
なぜって保育園の行事が重なるから。
去年も書きました。うちの保育園の個人面談に関して。
結局去年は出席して、長男、次男、それぞれの担任の先生と、
10分程度の雑談をして終わりました。
途中話が途切れて、こちらから話を振る場面もありました。
そして今年も、有無を言わさず『全員参加です』と仰るので、
今年は夫に行ってもらうことにしました。
…にしても、なんで私がこんなに個人面談にこだわるのか、考えてみたのです。
※下記すべてに関して、あくまで私個人の見解です。
保育園や保育士さんを批判するものではないし、
たくさんある考え方のひとつのつもりで、好き勝手書いているまでですので、
悪しからず。
①時間に対する意識の違い
『年に1回の個人面談は全員参加』と決めている園長先生は、
こう思っているのではないかと予想しています。
『年に1回たったの15分、30分…』
仕事をしながら明けるその15分や30分は、単純に15分や30分ではないこと、
わかりますよね。
会社に遅刻、早退するためには、段取りや調整が必要です。
そのための隠れた時間も含めて、では例えば多く見積もって2時間としましょう。
年に1回とはいえ、私は【時間=何より貴重な資産】と捉えています。
お金はまた稼げるけど、時間は二度と戻ってきません。
なのでダラダラする1時間も、私は気合いを入れてダラダラしているし、
子供と遊ぶ時間も、『子供と時間を共有する価値』が無限大だと思うから、
できるだけ時間を割きたいと思っています。
その時間の貴重さや意味を、みじんも考えてなさそうなところが、
私は我慢ならないのです。
私にとっては、
「年に1回、1万円くらい、わけを聞かずに頂戴」
と言われているのと同じなんです。
②理由の説明があるだけで大違い
ある実験が行われました。
コピー機の列に並ぶ人に、理由を言わずに
「先にコピーを取らせてほしい」
とお願いしたところ、ほとんどの人は割り込みを断ったそうです。
そして次に、
「先にコピーを取らせてほしい、急いでいるので」
と理由を説明すると、過半数の人が応じてくれました。
さらに、
「先にコピーを取らせてほしい、やらなきゃいけないので」
という、よく考えると理由になっていない理由を言うと、
同じように過半数の人が応じてくれました。
つまり人が反応しているのは、理由の辻褄が合うかというよりも、
「…ので」という言葉尻。
どれだけ筋の通っていない理由であっても、
理由の説明があるだけで、人はある程度納得して要求に応じることができるんです。
それって、実験とか見なくても、
なんとなくわかるもんじゃありません?
理由の説明が一切なく、とにかく『全員参加』。
そこに一抹の不満を感じます。
③『子供のため』という思考停止
こう言うと角が立つかもしれないんですが、
保育園で先生たちが手掛けてくれている工作や、発表会の衣装、
いつもいつも感心します。
しかしたまに、こうも思います。
「なにもここまでやらなくても…、先生たちも忙しいんだし…」
『子供のため』と言う時点でもう、キリがないんです。
どこまででもできるんです。
かつ昨今、保育士さんの給料の低さやその激務具合が問題視されているとき。
教室の壁に常に貼られている、画用紙や折り紙で作られた季節に応じた飾り付けが、
いまの半分のクオリティで、子供の情操教育になにか問題があるとは、
私は思いません。
保育士さんの衣装作りは、まぁ適当なところで切り上げて、
早く帰ってゆっくりしてもらったほうが、
保育士さんも次の日から笑顔で子供たちに接することができたり、しない?
『子供の健やかな成長のため』という伝家の宝刀には、
なんでもかんでも問答無用に従わせる力があります。
そこに理由なんてありません。
でもそれって、…本当に、…子供のため…???
学校とは違い、毎日教室までお迎えに行く保育園で、
毎日先生と子供について話す環境で、
わざわざ保育士さんの時間、親の時間使ってまたさらに雑談するって、
それがどういう風に子供のためになるのか、私にはいまいちわからんのです。
…でも書いているうちに、これってそれこそホント、
人それぞれ、親それぞれ、価値観の問題だよなぁ、と思いました。
子供の話なら、喜んで雑談します、って人もたくさんいるだろうし。
いや私もね、ここにこんなにも引っかかり続ける自分が、面倒で持て余しているんですよ。
だから1,800字も書いちゃうんです…
どんだけこだわってんだか…はぁ~…
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お忙しいところすみません。。
いつも応援ありがとうございます。
自分以上に頼りになる人、いますか?