昨日の記事の続きなんだけども、
決して夫を責めているわけではないのだ。
ただまずは、違いを認識して、
どうして自分や夫が、いま感じているように感じるのか、
その理由や背景を探っているのだ。
その上で、
私たちのベスト、が見つかれば
それでいいのだ。
そこで今日は、
夫のこの発言に関して。
例えば週末に病院、美容院へ行く夫に
私が文句を言うと、こう返される。
『じゃあ自分もお祖母ちゃんとお姉ちゃん(私の母と姉)に子供預けて、
週末美容院行けばいいじゃん!』
そう言われて、自分に問い返してみた。
それで私の気は晴れるのか?
そうしたいのか?
否。
やはり、そういうことではないのだ。
私は、楽をしたいわけではないのだ。
理屈が通らないことなのかもしれないけど、
こと子供たちのことに関しては、
楽をしたいわけではないのだ。
そうではなくて、むしろ夫と一緒に苦しみたい、
同時に夫と一緒に楽しみたい、
と思っているのだ。
でもそれなら、
そもそも保育園に預けている時点で
楽をしようとしているのではないのか。
我ながら、やっぱり筋は通っていないと思う。
もそれが、正直な気持ちなのだ。
多分、
子育てを夫と一緒に味わい尽くしたい思いと、
社会と関わって仕事がしたい、という思いと、
ふたつが同じくらいの強さでせめぎ合っているのだろう。
それなら夫は、私の子育てに関する思いに、
単に付き合わされているだけなのか。
しかし、それとこれとは別。
なぜかと言うと、子育てに関しては
私や夫の問題でもあるけど、
子供たちの問題でもあるから。
どれくらいの【熱】を持って子育てをするか、って
人それぞれだと思う。
つまり、母親と父親でも違う、ということ。
そしてその【熱】の向かう方向も、人それぞれ。
習い事や教育へ向く人もいれば、
健康志向へ向く人もいて、
その【熱量】もそれぞれ。
それを摺りあわせるって、難しい。
明確な不正解はあっても
正解はないから、親の数だけ正解がある。
いまの私の子育てに対する【熱量】は、
平日は18時半まで保育園の力を借りて【仕事熱】を満たして、
週末は「疲れた」と不平を言いながらも
欠かさずに子供たちと過ごす。
その1日1日を苦しみ笑いながら積み重ねること。
数年後には、
子供の成長に伴って変化していると思う。
そして書いていていま改めて気づいたけど、
私は単純に、子供たちと、夫とみんなで過ごす時間が
好きでもあるんだ。
せわしなくてマジで疲れるから、
常に『楽しい』とは言い難いけど、
やっぱりそこが、私の居場所なんだ。
そしてそのとき常に、夫には隣に、いて欲しいと思うのだ。
一緒に苦しみ、笑って欲しい。
そういう、シンプルなことでもあるみたいだ。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。