おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
梅雨時にきれいに咲いたアジサイの回りを、
たくさんのモンシロチョウが、ヒラヒラ飛んでいました。
私がこうして写真を撮る横で、
長男が手をパチン!と叩きました。
これまでも、同じことをしていました。
虫やチョウチョを捕まえようと、パチン!と。
でもそれまでは、
長男自身が小さかったために、
虫たちの動きについていけず、当然捕まりませんでした。
「ママ!」
振り向くと、立ちすくむ5歳児。
広げて見せた手のひらには、白い粉と、破片がびっしり。
足元を探すと、
羽根がもげ、プルプル震える小さなモンシロチョウ。
「手についたのは、チョウチョの羽根。
チョウチョの羽根は、叩いたら破けちゃう。
羽根がなくなったチョウチョは、たぶん死んじゃう。
見て。プルプル震えて、イタイ、イタイ、って言ってる。
チョウチョも虫も、魚とかもね、声が出ないからわかりにくいけど、
あなたやママと同じように、痛いのよ。」
「死んじゃうの?」
「うん、そうね、羽根が破けちゃったら、死んじゃうだろうね。
いままで当たったことなかったもんね。
当たると思わなかったね。
でももう、長男クンも大きくなってきて、
当たるようになったね。」
死のうとしているチョウの震え方は、
大人の私が見ると、目をそらしたくなるほどに、
かわいそうで、哀れで、痛々しい姿でした。
弱っている自分を自覚しているからか、
震えながら、葉の陰に隠れようと、糸のような足で少しずつ進みます。
じっと見つめる長男。
「チョウチョにごめんね、して、もうしない。」
「うん。
ごめんね・・・」
性根が私に似ている長男には、
私の思うやり方がすんなり通じます。
赤ちゃんの頃こそ大変でしたが、
今となれば、私には育てやすい子です。
私自身が小学生のころ、
いまはもう駐車場と大きな道路ばかりの地域になってしまいましたが、
当時はまだ畑と、細い道路だった通学路。
毎日30分以上歩いて、小学校へ通っていました。
よく、動物が車に引かれて死んでいました。
ハト、猫、タヌキ、ネズミ。
当時の私が感じたのは、
『人間が無力だ。』
ということでした。
かわいそうだと思うのに、
何をしてあげられるわけでもないと、
そう感じ、
実際母にも話した記憶があります。
大人になり、情報や知識、
世の理を知り、
できることがたくさんあることがわかりました。
キレイなチョウチョを手にかけてしまい、
自分が奪った命が痛々しく震え、消えていく様を目にした5歳が、
何を感じ、
その経験がのちに何を生成していくのか、
楽しみです。
それはいまはまだ、言葉になる前の、漠然とした気持ちだと思います。
年を重ねて、いろんな命の重みを見て、聞いて、感じてきた私には、
震えるチョウチョはとても、とても痛々しく映りましたが、
若い命の君の目には、どう映ったのか。
いずれにしても今の長男、
虫に、とても興味を示しています。
公園で見つけるダンゴムシ、ハサミムシを、
捕まえて、裏返して、近くでよく観察しています。
7月にはおじいちゃんちへ行って、
なんとかカブトムシを捕まえられないか、
せめてクワガタでも、と
パパと次男ともども、
虫談議に花を咲かせています。
あ、私はどちらかと言うと苦手です。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。