
おはようございます。みゆきです。
12歳と9歳の息子ふたりを育てています。
先日も書いた、離婚した友人の話なんですがね。
もう彼女は既に離婚していて、
子供たちの親権は彼女が持っていて、
当然別居もしていて、
子供たちは元気で、
経済的にもまあ大丈夫で、
総合的に大丈夫なんですが、
ネチネチとした元夫からの嫌がらせが続いていて、
その発散に私はたまにお付き合いさせていただいています。
そこはもうさ、
友達ってこういう時のためでもあるじゃん、
と思うので、
ひとりで受け止めたら重すぎるものは、
どんどんとシェアしてくれたらいいじゃん、と思います。

いやでもなんかさ、
考えちゃうんですよねー
彼の人生、なんだかすごく大変だなーって。
誰かを加害することが、彼の心にとって『必要』で、
でも加害したからって完璧な平穏が訪れるわけでもなくて、
あくまでその場しのぎで、
でもそのその場しのぎが無いと、
彼の心は壊れそうにもろいのか。
どんな感じなんだろう。
そもそも誰かを加害することに心が痛まないのは、
多分自分もかなり加害されてきていて、
少なくとも彼の中ではそれが事実で、
加害して加害して加害して、
とうとう相手に逃げられて、
でも元妻しか、気兼ねなく加害出来る人がいなくて、
つまり甘えられる人、弱みを見せられる人がいなくて、
穴の空いたバケツを抱えたまま、
これからもずっと彷徨うのか。
水を入れるそばから穴から水が漏れていることに、
本当は気づいているけど、
穴を直視することも、穴をふさぐ作業も苦痛なのだろうか。
相当にかわいそうだけど、
私にも友人にももうどうしようもないので、
やはり周りからは常に遠ざけられてしまうわけで。
ますますかわいそう。

いやほんとさ、
いまの若い男性たちはだいぶんマシなんじゃないかと思うのだけど、
私たち世代から上の世代の男性、
ほんと、いわゆる『有害な男らしさ』の害を
存分に受けていると思うのです。
いやいや、その害は女性たちももっと受けているんですが、
一旦置いといたとしてさ。
弱みを見せられる友達がいない時点で、
結構人生詰んでません?
だって人生、どれだけ恵まれていたって、
大変なこと苦しいこと、
思い通りにならないこと、
あるじゃん。
そういう時、
ハナから強さを期待されていない女性たちは、
群れて集って、
『カナシイカナシイ・ツライツライ』
って弱みを見せて、
共感してもらって少しずつ癒されて、
また前を向く力を絞り出すじゃん。
あとさ、
モラハラをする人って、
相手に送ったメールやLINEが、
その友達にも見られてるってことを知らな過ぎ。
自分が友達にそういうところを共有する習慣がないから
思いつきもしないのかな。
女性たちは結構、
男性からのメールを友達に見せたりするのですよ。
思春期の息子のような、
甘えからくる加害の言葉を
別れてもなお妻に送っていること、
元妻の女友達は知っているのですよ。
弱くてもいい
泣いてもいい
逃げてもいい
息子たちにはそう教えるほうが、
よほど人生を幸せに生きられるのではないかと、
改めて、モラハラ夫から思い至りました。
人生うまくいってるときは
別になんだっていいじゃないですか。
でも、たまにくる辛い時、悲しい時を、
いかに乗り越えて、それをどう糧にしていくかが、
どんな人になるかの分かれ道だと思うんですよね。
辛い時には友達に弱みを見せて、
助けられて力をもらって立ち上がるのが、
やっぱりいちばん、まっすぐ立ち上がれると思うんです。
無理やり誰かのせいにして立ち上がると、
どこか歪な立ち方になったりするような。
あー、こうやって、
いろいろ考えちゃうんです。
よく言われるけどホント、
いちばんケアが必要なのは加害者。
でも、大人の加害者はもう、
ちょっとやそっとじゃ救えないのだろうな。
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お忙しいところすみません。。
いつも応援ありがとうございます。
 
							
											

 
                         
                         
                         
                         
                         
                         
                
