もし子供がいなかったら、外出自粛はさぞ寂しかっただろう。でもラクではあっただろう

 

おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。

なんかもはや、コロナウイルスのこと以外は

読んでもあまり頭に入ってきません。

日々の生活に与える影響が日に日に大きくなり、

厳しいっすね・・・

 

コロナのことで頭いっぱい過ぎて、

空想、妄想が膨らんできました。

結婚前、ずっと中野でひとり暮らしをしていましたが、

もしあの時代に、

いまのこんな騒動が起きていたら。

 

前職の会社勤めだったら、

きっと早々にリモートワークに切り替わっていたでしょう。

営業部隊は最初からリモートワークが可能な状態になっていました。

 

家でひとり仕事をして、

高齢の両親に移しても嫌なので実家には帰れず、

当然友人に会うのも控えるわけです。

 

相変わらずオンライン飲み会はしていたでしょうが、

仕事以外の時間を、

どう過ごしていたかなと、考えてみました。

 

SNSやって、

ブログ書いて、

テレビ見て、

映画見て、

本読んで、

オンライン飲み会やって、

友だちとLINEして、

 

ひとりで過ごすのは得意なので、

そこまで困りはしないでしょうが、

 

「あれ?私2日くらい声発してない・・・」

 

ってことになったんだろうな。

 

そしてやっぱり少し、

寂しかっただろうなって。

 

今は家族がいる中の外出自粛なので、

自粛しようがしまいが騒々しく、

寂しさとは無縁です。

 

しかし同時に、

小さい子供がいるからこその難しさも。

 

共働きの命綱である保育園や学童に

子供を通わせられなくなれば、

それはつまり、

仕事ができない、ということになるわけで。

 

夫婦で協力すればまったくできないわけではないにせよ、

ふたりが通常通りの分量で仕事をすることはできません。

 

いや~、なんか、

人類の生活や子育てって、

そもそもすごく、

綱渡りだったんだと、改めて思いました。

 

国を維持するためには頭数が必要で、

そのためには女性が子供を産み、

家族や社会でその子供を育てていかなければいけないわけです。

 

でも、生活するためにはお金が必要で、

そのためには仕事をする必要があります。

 

仕事と子育てを両方同時進行で行うためには、

子育て部分を分業=アウトソースする必要があります。

それが保育園や学校や学童なわけです。

 

でもこうして、人が集まるという行為が禁忌になってしまうと、

子供だけを集めるということができなくなり、

子供たちが各家庭へ散っていき、

結果的にその親が仕事ができなくなり、

 

きびしーねー、

 

ということに。

 

しかも夫婦のどちらかが医療従事者や

警察、消防に勤めていたら、

こんな時期こそ忙殺されているわけですよね。

 

しかも、いつ終わるか、誰にもわからない。

ひー・・・

 

終わったら、終息して、もう安心、となったら、

何しようかな。

 

キャンプ

じーちゃんばーちゃんのところに遊びに行く

海外旅行

観劇

ママ友と飲み会

友人とランチ

子供たちのお友だち家族たくさんとBBQ

ママ友と飲み会

映画館

子供の屋内遊戯施設

ママ友と飲み会

国内旅行

飲み会と・・・

飲み会

 

いろんな人が言っていますが、

ここまで行動制限される期間が続いて、

しかもいつ終わるかわからないと人って、

 

終わった時にものすごくはしゃぐと思います。

「コロナのせいでね・・・」

と子供に説明する機会も増えてきました。

 

どうしてねねちゃんに会えないの?

どうして図書館に行けないの?

どうしてお友達と公園に行けないの?

 

1年後、3年後、

今のことをどんな風に振り返っているんだろう。

 

 

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最後までお読みいただきありがとうございます。

ひとりでできることには限りがある。

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