西日本の豪雨災害に、驚くとともに胸が痛い思いをしています。
できることはいまは寄付くらいなのか…とこちらから寄付はしましたが、続々と届く驚くほどの被害に、言葉は出ません。
Twitterでは、「身動きとれません、助けてください」というTweetが上がり、
ヒエエエェェェ…とスマホを取り落としそうになります。
中にはお子さんや赤ちゃんを連れている方も、当然ながらいらっしゃいます。
そしてこんな被災者のTweetが、私を4年半前に連れて行きました。
こういう災害にあったとき、母乳がんばってて良かったと思う。
母乳ならちょっとした布さえあればどこでも子供を泣き止まらせることができる。
完ミの方、こんな時のためにもう一度考えてみて。
4年半前、初めての子供である長男を出産して、ちょっとノイローゼ気味だった私。
「私ががんばらなくちゃ、でも人生でいちばん不安」
という支離滅裂な状態でした。
そして神話を信じ、何度も乳首がズル剥けながら、必死で食らいついていました。
【母乳育児】というやつに…
出なくてもとにかく赤ちゃんに吸わせれば必ず出る。
そんな情報ばかりが目に入って、
『母乳が出ない=私の頑張りが足りない』
という妄想に取りつかれました。
とにかく泣いたら吸わせる。
頻回授乳の千本ノックでした。
産後ひと月で自宅を訪問してくれた保健士さんにも、
「ミルクだと子供が太ってそのまま戻らない」と脅かされ、
ミルクを足しすぎだと怒られ(た気がしました)、
また髪を逆立てて長男を胸に抱きました。
「私はこの乳ひとつで3人育てた」と自慢する保健士さんが、
とてつもなく羨ましくて、
頑張れば出るのだと、思いました。
でも飲み足りないと赤ちゃんが怒っているのはわかったので、
萎れた乳でミルクを足しました。
混合育児を続けること5ヶ月。
とうとう赤ちゃんも、真剣に抵抗を始めました。
泣いて嫌がるようになったんです。
そりゃそうです。
お腹空いてるのに、ポタポタとしか出ない母乳では物足りなくなるほどに大きくなっていたのです。
本来は赤ちゃんの成長に合わせて乳も増産するはずですが、私の場合はしなかったようです。
泣いて嫌がるのを無理やり口に乳首を突っ込むのもやっぱり違うよな…
と【負け】を認め、【不合格】を受け入れることにしました。
完ミというやつに、移行しました。
確か北斗晶さんだったか、
「出ねーもんは、出ねーんだよ。」
みたいなことを仰っていて少し楽になり、
少しずつ受け入れました。
でも気持ちに反して、しばらくは私の乳は中途半端に母乳を生産し続け、
たまに痛くて少し洗面台やお風呂で絞り、ポタポタ…
「どうせ生産するなら、そんな中途半端なことやってんじゃねよ…」
自分の乳を見下ろして毒づきました。
次男のときに至っては、ひと月も頑張れませんでした。
それでも同じように、中途半端に張り続ける乳を恨めしく思いました。
そして長男の時も次男の時も、頼りない赤ちゃんを見ながら、ひとりこう祈っていました。
「どうかこの子が満足にご飯を食べられるようになるまで、地震や災害に襲われませんように。」
人は、体質や才能、能力や財力、家柄や血と言った【力】の類、
それが『生まれながら』であるときに最も勝ち誇り、
そして負けを認めやすくなります。
しかしそれは同時に、最も無力感を感じ、妬みやひがみに襲われやすい【負け】でもあります。
ノイローゼになるほどに頑張ったけど、結局私の母乳は、満足に出ませんでした。
いまは元気に走り回る子供たちを見れば、それがどれだけ些細なことか、私にもわかっています。
それでも今もなお、このトゲは抜けずに刺さったままで、たまにふと触れた時に、痛みます。
どうか避難所のミルクが十分であり、調乳、授乳設備が整っていますように。
当の本人たちがいちばん、母乳を出してたいと思っているはず。
それをできずに被災しているママが、どんな想いをしているのかと思うと、喉が詰まります。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。