おはようございます。みゆきです。
11歳と8歳の息子ふたりを育てています。
人間やっぱり、『急激な変化』には反動がつきものです。
私にとって、
『子供を産み育てる』というあの一連の生活。
望んで産んだのは百も承知ですが、
『聞いてないよ~っっ!!!』
という変化が多すぎました。
出産が痛いのは覚悟していたけど、
あんなに乳が痛くなるなんて聞いてなかったし、
『出産直後は多少眠れなくても大丈夫』
と言う本を読んだのに、
それは全然『多少』ではなかったし、
眠れなかったのは当然のように拷問的にキツかった。
ちょっとやそっとでは私は狂わない。
そう思っていたけど、
ちょっとやそっとでもなかったし、
私は十分狂いました。
今もまだ子育ては全然終わっていないけど、
いまくらいはなんというか、
思い描いていた『子育て』という感じ。
子供たちがいつでも帰ってこられるように、
誰か大人が家にスタンバイしていたり、
鍵を持っていかせたり、
やることは多いし、
家と子供から完全にフリーにはなれないけど、
ある程度の長さの紐でつながれている感じで、
紐の長さの範囲内なら結構自由に動ける。
その紐も、年々長くなってきている感じ。
そしてその紐の長さの範囲内で、
きっといま私は、
あのキツかった日々の【反動】をいろいろ体験しているのだと思う。
睡眠を楽しむのもそのひとつ。
キツかった日々が数年に渡ったのだから、
【反動】もきっと数年に渡るのだと思う。
自分の生活を取り戻し、
生活を楽しむ余裕を取り戻し、
自分を大切にする時間を取り戻す。
ということで、
以前、先輩の家にお邪魔したときにいただいた、
泡立ったミルクのコーヒーが美味しかったことを思い出して、
私も泡立てたくなったのだ。
コーヒーはずっと、
授乳しているとき以外は飲み続けていたけど、
やっぱりどこか忙しない中で、
コーヒーメーカーで作ったコーヒーに、
豆乳をドボドボッと入れて、
ガブガブ飲んでいた。
熱いコーヒーに、冷蔵庫から出した冷たい豆乳を入れると、
当たり前に少しぬるくなってしまうけど、
それを改めてレンチンする気持ちの余裕はなかった。
軽井沢の先輩の家にお邪魔したとき、
「ちょっとゆっくりお茶しよう。」
先輩がそう言って、
ミルクを泡立てて大きなマグカップにコーヒーを入れてくれた。
並々注がれたコーヒーを飲み干すまで、
日の当たるリビングでゆっくりおしゃべりして、
床には犬が(先輩の)寝ていて、
『なんて優雅なんだろう』
私はそう思ったのです。
なんだろう。
泡
って、ただそれだけで優雅。
ミルクフォーマーは
100均でも売っているらしいけど、
安物買いの銭失いが怖くて、
カリタのちゃんとしたやつを買ってみた。
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ミルクを大きめのマグカップに入れて、レンチン。
40度に温めて、
電池を入れたフォーマーで泡立てる。
泡立てているだけの、時間。
ミルクが泡立っていくのを見下ろすだけの、
数十秒。
ああ、贅沢。
ああ、優雅。
これこれ。
泡立ったミルクの中にコーヒーを注ぐのもまた、
よきかな。
盛り上がる泡に毎朝満足して、
泡を食べる。
時間に追われて、
なんのために生きているのかを考える時間すらなかった、
忙しすぎた日々。
でも、そんな日々があったからこそ、なのかもしれない。
『丁寧な生活』は私にはできないけど、
決して味噌を手作りしたりはしないけど、
生活を楽しめるようになったのは、
良い反動。
スタバのカフェラテはもはや高すぎて、
金銭感覚的に恐れ多くて買えない。
家でのコーヒーも十分美味しいし。
ミニマリストにも私はなれないので、
楽しい道具はまた増やしていきたい。
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。