母が悪夢に悲鳴をあげ続けていた日々のこと

 

おはようございます。みゆきです。

毎日の7歳と4歳の兄弟喧嘩。

本人たちにも言いました。

 

「ケンカをすることは別にいい。

でも、危ないことだけはダメ。

叩いても危ない、家の中を走り回っても危ない。」

 

そうしたらパパと一緒に、

喧嘩のルールを決めたようです。

 

『叩いたら、テレビの順番なし』

などがそのルールには含まれていました。

 

人に痛い思いをさせてはいけない。

これは真実ですが、あくまでも『今現在の真実』なのだよなと、

いろんな解釈があった時代もあったのだろうなと、

そういう話です。

 

昔、もう、25年くらい前でしょうか。

私が中学生、高校生、それくらいだったと思います。

 

夜中、母が悪夢に悲鳴をあげることが

日常的だった時期がありました。

 

いつものように姉の隣で寝ていると、真夜中、母の悲鳴で目が覚めます。

 

「ひあぁぁぁぁぁぁ!ひやぁぁぁぁぁぁっっっ!

う~・・・うぅぅぅ~・・・」

 

そしてその悲鳴と泣き声は、数分続くのです。

 

最初こそ心配で母の様子を見るために扉を開けたりしていたものの、

続くともう、

「またか・・・」

となり、布団をかぶってすぐに寝るようになりました。

 

隣で寝ていた父が毎回、

「大丈夫、大丈夫」

と母の背中をさすっていたようです。

 

そのことを母に聞くと、

毎回、たくさんの犬に追いかけられる夢だと言っていました。

「怖くて怖くて…」

起きている時の母は、苦笑いでその話をします。

 

そして夜になると、

ガチの悲鳴をあげて泣きます。

 

忘れたころに、母の悪夢は無くなったような気がします。

そのことを、この前ふと思い出しました。

そういえばお母さん、夜中に悲鳴あげてたな~、って。

今思うと、心療内科とか連れて行くレベルだったんじゃないかな~、とか。

 

とはいえ原因はわかっていて、

丁度そのころ、父が投資に失敗して多額の借金を背負ったことがわかったときで、

 

母はお金のことには疎いままにきていたので、

不安と、そしてそれがよくわからないことであることと、

それが悪夢となったのだと思います。

 

でもそれにしてもあの時代の人、

私の親だけじゃないと思うんですよね。

 

私たちの世代と比べて

痛みや苦しみを避けたり、やわらげたり、解決したりすることに消極的です。

 

病院にかかることにも消極的だし、

痛みも苦しみも、根性や意志の強さとかで乗り越えようとするような。

 

 

そういう時代だったんだろうなと、

なんとなく考えました。

 

 

何かの本で読んだんです。

 

人類の進化、進歩は、

痛み(手間を含む)を避ける、弱める、なくすことが

モチベーションであり、

方向性であると。

 

ひと世代前には体罰さえ肯定されていたわけで、

人類のこの、『痛いの嫌だ』という欲求は、

とても強いのだなと、客観的に見てそう思うのです。

 

私だってやっぱり、痛いの嫌だし、

面倒なことは極力やりたくないです。

 

 

そんな母は、今思うと、

いや昔から思っていましたが、

とにかくいろいろと胸に溜める人でした。

 

母の寝顔は必ず、これは毎晩、

眉間にしわが寄っていました。

今の彼女の寝顔は知りませんが、私が子供のころは少なくとも。

 

試しに寝る前、自分で眉間にしわを寄せてみたのですが、

思っていた以上の顔筋の収縮でした。

こんなに顔をこわばらせて寝るって、

母の心は当時、どういうことだったんだろうと想像すると、

いつも『時代』を思うことになります。

 

「子供が中学生になるまではパートに出てはいけない。」

 

父にそう言われながらもそれを振り切ってパートに出た母。

そんな母ももうすぐ74歳。

今いちばん心配です。

 

体重40kgに満たない(太れない体質)彼女は、

持病こそないもののとにかく体力がないので、

今いちばん会いに行けない人です。

せっせと孫の写真を送り、電話をして、米や醤油や味噌など、

重い買い物をリモートで送り付けるばかり。

 

お母さん。

 

 

 

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