あるものがあり、無いものは無いのである

 

おはようございます。みゆきです。

12歳と10歳の息子ふたりを育てています。

 

例えば平日の夕方、ご飯までのちょっとした時間。

 

子供たちって何してます?

 

我が家の場合、

 

宿題、

漫画、

または

ピアノ。

 

なのですよ。

 

 

以前、なんとなくダラダラとテレビを許していたら、

次男が宿題を寝る前にやり始め、

就寝時間が遅くなるという事態になり、

 

別に宿題をやりなさいとは言わないけど、

宿題をやりたいのであれば、ご飯の前にやることになり、

だから平日ご飯前のテレビは禁止になったのですよ。

 

 

で、まあ宿題を終わらせると、

暇を持て余した子供たちは、

 

その場にある物の中から、

何をするかを選び、

いまは漫画かピアノが選ばれているのです。

 

 

ピアノと言ったって、

ふたりとも習っているわけではないので、

楽譜の読み方だけ教えて、

その辺にある楽譜を読みながら、

弾いて遊んでいるだけです。

 

最近のJポップの楽譜なんかもあり、

歌いながら弾いたりしてるんですね。

 

 

それを見て、夫と話すのですよ。

 

『子供の育つ環境』について、また考え直そうか。

 

当たり前の話なんですが、

そこにあるものが子供の育つ環境であり、

そこにないものは子供の育つ環境にはない、

ということなんですよね。

 

何も考えずに流れに任せていると、

子供たちの生活はもう

ゲームとYoutubeで満たされませんか。

 

 

極端な話、

例えば内戦状態になるような国に暮らす子供たちの育つ環境には、

銃があったり、

血があったりするわけです。

 

カナダの農場で生まれ育てば、

毎日牛や鶏のお世話をしたり、

「ちょっと庭でケール摘んできて!」

とお母さんに頼まれたりするわけです。

 

 

それらが子供たちの価値観形成に影響しないわけないです。

 

 

そして、

どの子供にも平等に与えられた1日24時間。

寝る時間を除いて、

何にどれだけ時間を費やすか。

それがその人を作るのです。

 

別に、なるべく多くの時間を無駄なく過ごすべきとは思いません。

ダラダラする時間は必要です。

 

でもやっぱりあまりにも、

今のうちの子たちの環境において、

ゲームとYoutube の存在感が大きすぎる。

 

そして最近おそらく AI のせい(おかげ)でしょうか。

Youtube の動画にも変化が見られます。

 

 

まあ要は、

Youtube を我が家から消し去ろうかと

思っているのです。

 

 

既にあるものを失くすのは、

子供たちからも抵抗があると思うのですが、

子供は大人よりも慣れるのが早い生き物で、

なければないで、それが当然として過ごすのです。

 

現に、平日夕方のテレビも、

いまではないのが当然として『そういうもの』として過ごしています。

 

 

私は小さいころ、

当時流行り始めたファミコンを買ってもらえず、

家で暇を持て余していました。

 

だから本を読み、エレクトーンの練習をして、

勉強した、とも言えるわけです。

 

姉も同様にヒマになり、

工作して、絵を描き、また勉強してました。

 

 

何が『良い』とかは無いと思うのですが、

でもやっぱりあまりにも、

ゲームと Youtube は、その時間を潰すだけで、

何も残らない気がするのです。

それも偏見なのかもしれないけど、

いやでも、最近の Youtube にはちょっと、内容が無いものがかなり多くなってきました。

 

 

うん、やっぱり Youtube は我が家のリビングからは抹消しよう。

 

なんだろうな。

やっぱり、

『本当に好きなこと』

これを見つけてほしいのかな。

 

 

私にはピアノがあり本があり、

姉には絵があり工作があり(いまは家補修にハマっている)。

 

 

人生は、

ゲームと Youtube で過ごすには長いし、

 

ゲームと Youtube だけで過ごすにはもったいないほどに短いと、

そう思えたらきっと幸せなんじゃないかと、

思うのです。

 

#youtube

 

#生育環境

 

#ファミコン

 

 

 

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