おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
6歳と4歳の息子ふたりを育てています。
何度書いたか忘れましたが、
子育てはあまり向いていないと思います。
子供と遊ぶのは苦痛過ぎてできないので
ほとんど遊ばないし、
「うーるせー!!!」と怒鳴り散らすことも多いです。ハハハ・・・
いやでも、向いてないならひとりでやめておけばよかったのに、
なんでふたり産んだんだろうって、改めて考えてみました。
最初に断っておきますが、
他の人が結婚しようがしまいが、
子供を産もうがどうしようが、
それはその人の自由です。
これはあくまで私の話です。
良いとか悪いとか、優劣の話でもありません。
長男の子育てにかなり手こずって、
産後ノイローゼになりかかって、なんとか復活して、
仕事に復帰して、
『ワーキングマザー』ってぜんぜんキラキラしてないなと、
こんなに大変だとは知りませんでしたと、
こんなに大変なこと、世の中にまだあったんだと、
驚きました。
当時夫の家事育児参加度合いもなかなかの低さで、
でも、何がなんやらわからないままに、
『子供はやっぱりふたり』と決めていた私。
1人でも3人でもなく、私の中では2人でした。
最初が男の子だったので、女の子を育ててみたい気持ちもありましたが、
ふたり目が男だろうが女だろうが、
ふたり目が欲しい、そしてふたりでオシマイ、
と決めていました。
高齢気味でもあったし、元々生理も不順でしたが、
運よくスムーズに次男を妊娠&出産。
なんだろう。
自分の中で、ミッションクリア感がありました。
私はもう結婚する前から、4人家族を目標にしていました。
なんでだろう。
人によると思うんですが、
私はやはり、父と母と姉の、自分が生まれた家族が、
『家族像』であり、
運よく良い両親に恵まれ、
この世でいちばん好きな人である姉の、いちばん近くに生まれた幸運。
そういうオメデタイというか、
幸せな子、なんでしょうか。
だから自分で家族を築く段になった時にも、
その『像』を追うことしか、
思いつきませんでした。
そしてもうひとつ幸いなことに、
私が何人産むか、その決断に、
夫が異を唱えなかったこと。
やっぱり、『何人産むか』って、
女性が決めるべきだと思います。
もちろん、生まれてからの労力や経済的なこと、
父親も大いに関与するんですが、
でもさ、あの妊娠とか出産とか授乳とか、
生物学的に女性にしかできないことの部分と、
それに伴う社会的リスク(産休を機にキャリアが一旦止まることとか)が、
どうしたって大きすぎると思うんですよ。
もちろんね、家族なので、
夫が『ひとりでいい。』とか『3人欲しい。』
そう言うのは良いと思います。
でもやっぱり、夫の要望をどこまで汲むか、それも踏まえて、
最終的に決めるのは、産む人だと思います。
もし夫が、
『3人目欲しいな。』と言っていたら、
私は拒否していたと思います。
『ひとりでいいかな。』と言っていたら、
葛藤があったと思います。
最近長男が、
カッコつける素振りを含めながら、
次男が見つけた物、次男が作った物などを
捨てたり、破壊したりします。
公園で次男が見つけた、キラキラ光るナット(↓こういうやつ)
と長男に見せに来て、
それを手に取った長男が少し手の中で転がして、
大人ぶった挙動で、遠くの草むらの中へ投げ捨てて、
怒るのを忘れて「あぁ・・・」と探しに行く次男が、
不憫で不憫で。
「つまんねー嫌がらせしてんじゃねー!
かっこわりーんだよっ!」
とつい、次男のナットを一緒に探しながら怒鳴ってしまいました。
(口が悪い・・・悪すぎる・・・
後から静かに言い聞かせました・・・)
でも同時に、
「遊ぼう!」
と声を掛け合って遊ぶことも増えてきて、
兄弟ってやっぱり不思議だな~って。
仲良くしたい気持ちと、
コイツより目立たなきゃ、コイツを蹴落とさなきゃ、
みたいなそんな気持ちと、
両方あったのを、私も覚えています。
親より長く付き合う兄弟。
今後も楽しみ。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。