おはようございます。みゆきです。
7歳と5歳の息子ふたりを育てています。
「ひななな?ひらなな・・・?おぼえたい。」
ある日次男が言いました。
「ひらがな?」
「そう、ひ・ら・が・な。」
「おぼえたい?じゃあおぼえよう。」
ジョージのあいうえお表はトイレに張ってあります。
長男のときにも作ってあげた、
ママ手書きの小さなあいうえお表を書いて、
リビングに張りました。
早生まれの次男。
今年から年長さんとは言え、
やはり平仮名は他の子よりは遅れるだろうと思っています。
でも覚えたいと言うなら教え時。
「なんでそう思ったの?」
「ちょーなんといっしょに、ぽけもんずかん、よみたい。」
ボッロボロになるまで長男が読み倒しているポケモン図鑑。
穴が空くほど読み、ポケモンのタイプや特性を暗記している長男。
とにかくなんでも、なんでもかんでも、
長男と一緒、長男と同じを求める次男。
わかる、わかるな、その気持。
そして多分その気持は、一生続くであろうと、
妹である私は思っています。
男だ女だと言いたくないし言わないのはもちろんなのですが、
人や子供の特性として、
どうしたって自分と少しでも近い存在に、
自分を投影するわけです。
コーヒーカップとネコを比較すれば、
ネコのほうが生きている分『比較的』自分に近いから、
ネコの『感情』が描かれた映画などを見て、
ネコの気持ちを想像したりもできるわけです。
でもそこに、飼い主がいればやはり、
飼い主である人間の感情のほうを選ぶのが『人間』の心の自然な動きです。
ママとパパがいれば、
息子が真似するのはパパです。
性別という子供にもわかりやすいカテゴリー分けがあるなら、
それを採用するのも自然な動き。
その点では、性別の違う兄弟の場合、
弟にとってはお姉ちゃんよりも近所の年上の男の子、
のほうが自分に近いために、
そちらの姿を追うことも考えやすいです。
なにが言いたいかと言うとね、
異性の兄弟と同性の兄弟の違いは、
やはりあるのだろうなと、思うわけです。
もちろんそれは『傾向』に過ぎないもので、
『個人差』や『相性』が先に立つとも思います。
そしてその相性が良い、もしくは悪くない場合、
どうだろうか。
姉、兄の存在って、一生の憧れの人にならないだろうか。
わかんない。わかんないですよ。
私がお姉ちゃん大好きすぎるだけかもしれません。
小さい頃からお姉ちゃんのマネばかりしていて、
私のできないことばかり上手で、
お化粧の仕方も、勉強の仕方もお姉ちゃんに教わって、
大事な家族であると同時に、
『憧れの人』という気がするのです。
そして次男の行動が、
私のその気持ちを思い起こさせるような。
ランドセルも、とにかく長男と一緒。
学校も長男と一緒だよね?と心配そうに確認したり、
年齢的に早いオモチャでも、わからなくても長男と同じものが欲しい。
張り合う気持ちも本当なら、
長男を追いかける気持ちも同じくらい本当に見えるのです。
長男はゲームで次男に負けると鬼瓦のような顔をして悔しがりますが、
次男は勝ち負けよりも、
長男に相手にしてもらえることがいちばん嬉しそう。
次男が口にした言葉で長男が笑おうもんなら、
それはそれは嬉しそうな、誇らしそうな顔をして何度も同じことを繰り返し言います。
わかる。
わかるな~、その気持ち。
私もいまだに、
自分が頑張ったこと、それを姉に説明して、
彼女に盛大に褒めてもらうことで、
すごく満たされるバケツがあると感じます。
いや・・・何って・・・
お姉ちゃんが好きだなと、何度目かの、それだけの記事です。
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。