子育ての何が大変て、足りないのは【手】じゃなくてアレ

 

こんにちは。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。

「まったくアンタたちは、次から次へと仕事増やしてくれるねぇっっ!」汗

ご飯時、

 

『集まれ、して!』と言われ『集まれ(ご飯を茶碗の中で集まれ~)』すると、

次男が牛乳をこぼし、

トイレに行ったはずの長男がトイレの床で漏らし、

次男はテーブルの上にこぼれた牛乳で遊び服を濡らし、

ボーゼンと立ち尽くす長男のオモラシを片付け、

リビングに戻り次男を着替えさせていると、

長男がテレビをつけろと言い、

テレビをつけていると次男がなぜかオムツを脱いでフルチンになり、

オムツを履かせると長男の鼻水が垂れ、

長男の鼻を拭くと次男がブロックを出せと言い、

 

小さな些事が、次から次へと湧いて出てきます。

 

『手が4本あったらいいのに』

 

と思います。

 

しかし、しかしですね、

先日姉と、『子育ての何が最もしんどいのか』について

熱く議論をしていたのですが、

 

私はこう思うのです。

 

子育ての何がいちばん大変て、足りないのは【手】じゃなくて、

むしろ

 

 

 

頭。

 

どういうことかと言うと、

この前の週末、夫がたまには家でひとりゆっくりしたいということで、

私&姉&子供たちで出かけました。

 

私はどちらかと言うと、

夫より姉と話すほうが楽しいし、

いつも通り大人ふたりだから別に問題なし、と思ったんですが、

 

結果やっぱり、

いつものように夫と出かけるのがいちばん、

私の負担は少ないと気づきました。

 

なぜか。

 

 

どこで、どれくらい子供たちを遊ばせるか、

いつ、どこで、なにを食べるのか、

子供たちにいつ、何を、どれくらいオヤツにあげるのか、

子供たちに上着を着せるのか、脱がすのか、

いつ、どこでトイレに行かせるのか、

いつ、どこでオムツを替えるのか、

ジュースが欲しいという子供たちにジュースを買うのか、買わないのか、

どのオモチャを持って外に遊びに行くのか、

ベビーカーに乗せるのか、抱っこで行ける距離か、

 

夫がいれば、

子供に纏わる数々の【選択】を、

夫と私で半分ずつ負担できます。

 

しかし一緒にいるのが姉の時、

彼女には判断できないことのほうが多く、

【選択】のすべてを、私ひとりが担わなければなりません。

 

夫でなくても、

毎日一緒に暮し、一緒に子育てを担う家族であれば、

【選択】のための【頭】を一緒に使うことができますが、

 

たとえ頻繁に会っていても、

子育ての【当事者】とされていない人に【頭】を貸してもらうのは、

なかなか難しいです。

人は、【選択】しなければいけないことが続くと、

疲れてしまって選べなくなるんだそうです。

 

それでも子供といると、【選択の千本ノック】を避け続けることはできません。

ボールは次から次へと、四方八方へ飛んできます。

たまに見送っても支障はないものの、それにしてもひとりで捌くには

ボールの数が多すぎます。

 

丸一日ひとりですべての【選択】を捌いた後は、

【脳】が疲れていることがわかります。

 

 

子供とどうごすか、も【選択】の連続ですが、

子供とどう生きるか、もまた、様々なレベルの【選択】が目白押しです。

 

どの保育園に申し込むのか、

習い事をさせるのか、させないのか、

小学校受験するのか、中学校受験するのか、

キツくなってきた靴をいつ、何に、どこで買い替えるのか、

誕生日プレゼントは何を買うのか、

連休はどこへ行くのか、

保育園用のエプロンの買い替えをどこで買うのか、

夕飯に何を食べさせるのか、

風呂上りの発疹に薬を塗るべきか、

 

 

 

文字通り、

【手】で手伝ってくれるのも、もちろん助かります。

 

でも、いちばん欲しいのは、一緒に【選択】を捌いてくれる

追加の【頭】!

 

違うかな?どう思いますか?

 

 

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最後までお読みいただきありがとうございます。

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