長年連れ添った、年老いた夫婦の【あるある】というのを聞きました。
夫が妻に送る最高の褒め言葉とは何か。
死ぬ間際の、
「また次に生まれても、一緒になろうな」
だそうです。
言われた妻は心の中で思うそうです。
「誰がお前なんかと」
なんかさ、死ぬ間際にしか褒め言葉や感謝の言葉を言わないことって、
もうむしろ、
キモチワルくないですか???
病的なまでに頑なな無口さと、不器用さ加減が。
『男たるもの軽々しく気持ちを言葉にするべからず』的な、美徳?慣習?
それで一体、誰が幸せになるんでしたっけ???
「与えることのできる男性に出会えたら、また結婚したり
お付き合いしたりしたいかなぁ…」
と言った人がいました。
「でも、与えることが出来る男性って、私は会ったことがない。
私が出会った男性はみんな、私の時間や心、自由、労力を奪って奪って、
奪って奪っていく人ばかりだった。」
これってわかる人にしかわからない感覚なのかもしれませんが、
私も、与えてくれる男性には、出会えたことがありません。
私が知っている男性はみんな私に、こう要求してきたような気がします。
『オレのお世話をしてくれ』
『オレのご飯作ってくれ』
『男を立てて気分良くしてくれ』
そして私が欲しいものを、自ら与えてくれる男性には、
出会ったことがないです。
自分の心の奥底を覗くと、【誰かのお世話をしたい願望】があったのは事実だと思います。
しかし子供のお世話でお腹いっぱいの今、子供に与えつくしてカラカラの今、
もう私には、あげられるものはないのです。
それなのに『オレ頑張ったから』『オレ大変だから』とジャイアン的な要求が続きます。
【見返りを求めない愛情】は、無敵だと思います。
でも私はまだ、そこまでの境地には達せていません。
子供で精いっぱいです。まだまだ小さいのです。
夫相手に『察してほしい。思いやって労わって欲しい』と願うのは、
トースターに向かって『どうしてお米が炊けないの?』と嘆くことと同じ。
と学びました。
後天的にその機能を備えることはできるのかもしれませんが、
やはり標準装備はされていないのがわかります。
なのになぜかトースターは、
「頑張ればオレ、お米炊けるかもよ?」
的なそぶりを見せるので、ついついこちらも期待してしまって、油断してしまって、
でもやっぱりトースターにお米は炊けなくて、
勝手に裏切られた気になって傷ついて、がっかりして、消耗して、
奪われてばかりな気持ちになって。
そんでまた期待して、裏切られて…その繰り返しで月日が過ぎていきます。
「期待しないように」気を付けるって、とてもとても悲しいことだと思うのですが、
自分の精神衛生上はそれがいちばん良い気がしてしまうのです。
何度考えてもトースターはトースターなので、
結論としては多分、彼らは私の欲しいものは、持っていないのだと思います。
でもごくたまに、与えることが出来る男性、というのは存在するとも思います。
私は会ったことないけど。
女性といると、何も奪われた気になりません。
女性は、自分で自分の機嫌を直すことができるし、
私が苦しいとき、気づいてくれます。
そして与えてくれます。
私から何も奪っていきません。
私はやっぱりお米が欲しいので、炊飯器と生きていくという選択肢が
どうしても魅力的で抗えません。
私にとってのお米は、
労わりや思いやり、感謝の気持ちや気遣いです。
でも最終的に私にできることは、ただただ頑張るということ。
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