こんにちは。ワーキングマザー・サバイバルのみゆき(@miyuki_thewm)です。
息子ふたりを育てながら、共働きのお金、子育て、仕事などについて書いています。
刺激的な本↓を読みまして、いろいろと思ったので今日はそのことを書いてみたいな、
と思います。
もういちいち「そうなのよ~!」と叫びたくなることばかり書いてあって
あっという間に読み終わってしまいました。
こんな1985年生まれの若いお兄ちゃん(オイ、社会学者さんです・・・)がわかっていることを
どうして偉い政治家のおじちゃんたちがわからないのか、おばさんにはさっぱりわかりません!
著者の彼はまだ結婚もしていなくて子供もいない若者なんですが、
彼がこの本全体として言いたいのは要するに、
今の子育ては【お母さん】ばかりに負担がかかりすぎている、
その負担をもう少し社会全体で負えるようにしたほうが、社会によっても良いことずくめである、
ということらしいです。
取り上げたい箇所はたくさんあったのですが、まず最初としてはこれ
日本のお母さんには基本的人権が認められていないようなのだ。
なぜか一人の女性が子供を産んでお母さんになった途端に、人間扱いされなくなってしまうのである。
赤ちゃんが電車で泣いてもお母さんのせい、
学校の成績が悪くでもお母さんのせい、
犯罪を犯してもお母さんのせい。
そうそうそう!!!
そうなのよー!!!
同じ女性なのに、お母さんになった途端になんでもかんでも完璧にこなすことを求められているような
そんな気がするの。
お母さんだって、たまには落ち込んだりもするし、子育てに嫌気が差すこともあるし、
子供がかわいいと思えない瞬間だってあるのに、お母さんだっていうだけで
そんな気持ちを口にすることすら憚られるというか。
以前、自治体が開催しているお話し会のことを書きましたが、
その席でカウンセラーの方が最初に言うんです。
「こんな風に子供から離れて大人だけで、
しかも自分以外の人がいれてくれたお茶を飲める機会なんて今そんなにないでしょう?」
ふと気付くと、参加者のお母さんたちの前には、
陶器のカップに入れたての湯気のたったお茶が置かれていました。
そう言われて初めて、そのお茶に気付き、そのありがたさに感動したのを
今でもはっきりと覚えています。
そのお話し会に始めての参加者が来るたびに、
そのお茶を見て「はぁ~っ…」と顔が輝くのを見てきました。
おっぱいあげて、オムツ替えて、自分のご飯は急いで食べて、
おっぱいのために水分補給して、哺乳瓶消毒して、着替えさせて、
掃除洗濯して、夫のご飯作って、夜中も3時間おきに起きて、
自分だけの自由時間がいつどれだけ取れるかは赤ちゃん次第で。
取れたとしてもいつ赤ちゃんが起きるかビクビクしながらの休憩で。
そうするのが自分も回りも当たり前と思っていて、
自分以外の人が入れてくれたお茶を、子供を気にすることなくゆっくり飲める時間が
どれだけ貴重でありがたいか、ジワ~ッと感動が押し寄せました。
子育てをする中で、かけがえのない喜びもたーくさんあります。
苦労した分「ママ、ママ」って絡みつかれることも、うっとおしいと同時に素晴らしい喜びだし、
こんなにも私のことを好いてくれる人は他にいないと思うし、
自分で寝返ることも出来なかった子が「ママ好き」と言葉で言ってくれたときの感動は
他では味わえないものです。
でもそのために、
今ほど子供のためにお母さんひとりが犠牲を払う必要は
本当はないのではないでしょうか。
時代や人々の生活スタイルがどんどん変わる中、制度が追いついていないだけ、
とこの本の著者の方は言っています。
今の、
まるで宗教のような【お母さん像】に潜在意識の中で囚われているのを
自分でも感じます。
0歳から保育園に子供を預けて働いているのは本当は子供がかわいそうなんじゃないか、とか
子供も嫌がるようになったし、量もあまり出なかったし、お酒も飲みたかったし、と
生後5ヶ月までしか母乳をあげなかったことに罪悪感を感じたり。
国も公式に根拠が無いと発表している【3歳神話】すら
自分の中で完全に否定できているかと言われると、100%ではないです。
つくづく【刷り込み】って怖いな、と思うわけです。
思い込みから逃れて、冷静に正当に判断して後悔しない子育てをするためにも、
いろんな人の意見や知識を常に入れとかないとな、とまた思いました。
若者だけに、挙げている例もわかりやすくて身近だし、とーっても読みやすい本でした。
子育て中なら、是非一度読んでみてください。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。