おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
パパとのかるた大会が、相変わらず大好きな長男です。
汗だくになって、絶叫、鬼瓦泣きをしながら、必死にパパに勝とうと頑張るのが楽しいようです。
同じかるたで何度も何度もやるので、そろそろパパも本気を出しても互角になってきました。
ちょっとずつですが、2歳半の次男も参加できるようになってきました。
かるたではないですが、今日はチェスの話です。
ゲームのチェスは、子供が生まれる前に夫となぜか少しやりましたが、私はあまり向いていないと感じました。
夫には絶対敵わないというか、そもそも数手先まで考える根気がないというか。
そこを考え抜く彼には勝てたためしがありません。
しかし夫は、『心のチェス』は【しない人】だな、とつくづく思います。
姉と話していた時のことです。
姉がこう言いました。
「私はいつもいつもチェスをしてしまう。
自分がこう言ったら相手がこう思って、だからこう言って、そう来たら私はこう思って、こう返して…」
それを聞いて、その習性を持たない夫のことを思いました。
私にとっての『朝起きない夫』は、チェスの『一手』です。
それよって、私が『悲しい気持ち』『私の気持ちを無視されたという感覚』を持つ、という一手。
そして『夫の晩御飯は作るまい』と思う一手。
それによって夫が『また少し不満を溜める』という一手…
そうやってどんどん、どんどん、『手』が進んでいきます。
しかし夫にとっての『朝起きない』は、
ただただ、『眠いから起きたくない』というその瞬間の欲望、感情、以上です。
それによって私がどう思うかなんて、考えもしません。
まして『朝起きないこと』が、『晩御飯作ってくれること』につながるなんて、想像もしていないと思います。
夫は本当に、『起こしがいのない人』なんです。
だから子供らも、
「パパ起こして」と言うと、
「やだ!起こしても起きないから」と言います。
そうなんです。
起こしても、「はーい…」と言いながらも結局は、自分のタイミングで起きるんです。
起こしている人からしたら、自分が起こしたことで起きてくれないと、起こした=達成した実感が持てません。
そのためにどんどん起こしたくなくなる
↓
どんどん起きなくなる
↓
どんどん心が離れていく
という『手』が進んでいきます。
一方夫に言わせると、
ただただ眠いのだ、と。(そりゃ誰だって眠いわ。)
欲を言って正直に言うと、ただただ好きにさせて欲しい。
でも、ひとりになるのは寂しいから、遊びに行くなら誘って欲しい。
でも行きたくない時は行きたくない。
一緒にいたいときには一緒にいれるようにそばにいて欲しいけど、基本的には放っておいて欲しい。
ただそれだけ。
私がそれを嫌だと言うと、
「どれが嫌なの?」と単体の話になる。
「どれが嫌とかそういうことではなくて、その【姿勢】の問題」と言っても、
「姿勢?どういうこと?」と、そこで話が通じなくなる。
これがつまり、『チェスする人と、しない人』の決定的な違いだよな、と、いつもいつも、いつもいつも感じます。
チェスする人である私は、『独立したシンプルな欲求や言動』を『チェスの一手』だと受け取って、いちいち右往左往しているわけです。
まぁ最近はやっと、それが独立したものであって、前や次の『一手』とのつながりが一切ないということが、『理解』はできました。
でも『理解』はできても、それが『受け入れ』られているかと言われると、まだかなぁ。
でも『チェスしない人』に「しろ」と言ったところでできるものではないですし、
『チェスしない人』の言い分としたら、
「なんでいちいちそう複雑に考えるの?」という感じだと思います。
もうそうなるとさ、根本的に相容れないわけよね、一緒にいるのしんど…とここもまた『チェスの一手』。
自分が妙に気分の良いとき、夫に愛情を感じた瞬間などに、彼に優しくなろうとして、
「ここであんまり優しくすると、調子に乗るのか?」
と自分にストップをかける自分も、また『一手』。
そんな自分に疲れることもあるけれども、やはりそこは習性なのでやめられません。
夫婦の基本的な感情は不機嫌、とはうまく言ったものです。ふぅ~…
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。