おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
5歳と3歳の息子ふたりを育てながら、共働きのお金、子育て、仕事などについて書いています。
なんか妙に『嫌い』と感じる人は、
実は自分に似ているんだとか、
実は羨ましいと思っているから嫌いなんだとか、
いろいろ言われますが、
よくわかりませんが、
嫌いなもんは嫌い、
なんですよね。
この方のことを知ったのは、Cakesだったかな。
ゆるっとしたコミックエッセイって、いいですよね。
好きです。
すーちゃんに、『どうしても嫌いな人』がいたり、
従妹には『なんかもやっとする彼氏』がいたり、
それぞれの成り行きを
さらりと、飄々と書いています。
私自身、『どうしても嫌いな人』はここ最近あまりいませんが、
出会ってしまった時には、
徹底的に『いないこと』にします。
あ、そう私、特技があるんですけど(←自慢するほどのことではない)
考えても仕方がないこと、でも考えずにはいられないことを、
考えない、
ということができます。
本当に考えずに済むというか、忘れられるというか、
あれ?
なんか単にBAKAですか?
しかし↑の本のすーちゃんのように、
仕事上どうしても接しないといけない、
かつ、相手も嫌いなのに絡んでくる場合、
それはやっぱりその状況が『厄介』以外の何者でもないですよね。
それですーちゃんもジワジワと悩むわけです。
自分に『どうしても嫌いな人』ができてしまうのと同じように、
自分も必ず、誰かの『どうしても嫌いな人』になってしまうわけで、
もう仕方ないんです。
いろんな人がいますし、それでいいんですし。
だったら別の世界で生きましょうね。
と平和に解決できる時ばかりでもなく、
だから苦しむ人が出てくるわけで。
最近は私は、あまり『嫌いな人』がいないのですが(←年か?)
昔は定期的にいました、そういえば。
そういう時は多分ですが、
相手も同じように私のことが嫌いで、
でも半数くらいは、
私と同じように、私をいないものとしてくれて、
同じ場所で双方が平和に過ごせました。
あ、でもそうなるともはや、
『どうしても嫌いな人』でもなくなってしまうのかもしれません。
しかし中に、嫌いだからこそ接触してくる人がいて、
そういう場合はやっぱり、
この『すーちゃん』のように、
どちらかが逃げ出していました。
でもそれで、いーんだよな、と読んで改めて思いました。
でもあの時嫌いだったあの人も、
いま会ったら普通にうまくやっていけそうだな、と思ったり、
あの人とはやっぱり無理そうだな、と思ったり。
『モヤッとする彼氏』がいる従妹にしても、
『どうしても嫌いな人』がいるすーちゃんにしても、
いずれにしても『我慢』や『忍耐』が最終的にやることではない、
ということなんでしょうか。
自分をごまかし続けても何も良いことはない、
ということなんでしょうか。
自分を守るのは自分だけ、ということなんでしょうか。
文章と同じで、
『行間』を読ませるコミックエッセイ、
とでも申しましょうか。
絵や文字が少ないのに、
少ないから?
いろいろと考える余地を持たせてくれる感じが好きです。
ナントカ心理学では、
人の悩みのすべては対人関係である、とか言われていて、
『人と人』
それ以上に人を苦しめ、
そして人に喜びをもたらすものって、
私はないと思っています。
それ以外の悩みは、意外にシンプルですが、
人関連の悩みは複雑なことが多く、
そして人がもたらしてくれる以上の充足感は、ないです、私には。
そうそう、気づいたんですよ。
なんで私が、いま住んでいる地域からできるだけ動きたくないと思っているのか。
好きな人が、たくさんできたから、というのが大きいんです。
地理的に少し離れたからと言って永遠の別れではないけれど、
物理的に近いからこその、心理的な近さがあることも知っています。
流れ流れて、引っ越し問題。
はぁ~・・・難しい。
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。