二度目の成人式がこれから来るのか

 

おはようございます。みゆきです。

 

1977年生まれ、ただいま43歳でございます。

思えば遠くへ来たものです。

 

18歳~22歳までアメリカに留学していました。

地元のどこかの会場へ集まる成人式には全く興味がなく、

特に成人式に合わせて帰国することもありませんでした。

でも、母がどうしても娘の振袖を見たいと言うので、

確か19歳のとき帰国した際、

同じ年の友人と振り袖を着て写真だけ撮りました。

 

着物も母が選び、それは私ではなく母のための儀式であると、

双方が認識していました。

 

曰く20歳の成人式は、七五三の延長だと。

なるほど、たしかに。

 

寿命が延びたこともあり、

『大人になる』ってどういうこと?

とぼんやり考えているフリをしているうちに成人式が過ぎました。

 

20代になってもまだまだ『甘え』を体から撒き散らしながら生きていました。

酒井氏が最初に『大人』になったと感じたのは32歳だったとか。

 

私は、そうだな・・・

やっぱり子供を産んだ35歳だったと思います。

 

新卒採用というものを一切しない外資系企業で働いていたため、

30代前半で『若手』扱いという気持ち悪い環境でした。

本人たちも若干違和感も感じていたものの、

とはいえ20代の社員なんてほぼいないわけで、

なんなら35歳くらいまで『若い』感覚でした。

 

結婚して子供ができて、

会社という狭い世界から急に社会に放り出され、

赤子を抱えて呆然としていた時期が、

半年ほどあったような気がします。

 

徐々に正気に戻るにつれて、

多分私は『大人』になり、

初めての『成人式』を経たのだと、思うんです。

 

そうして同時に、

 

「わかったような顔をしており、

大変申し訳ございませんでした。」

 

と世の中に向かって土下座をしました。

世の中は、世界は、34歳の私が思っていたよりもずっとずっと広く深く、

一度井戸を出てアメリカへ行った蛙だという自負に

自惚れていました。

 

大海も、井戸の深さも、その広さや深さを知るものだと思っていましたが、

大海や深い井戸があるのだと、

そしてそれは広く深いのだと、

広さも深さも、私という一匹の蛙が知れるものではないのだということを、

ビンタとともに突きつけられ、『大人』になりました。

 

そのビンタは痛かったけど、

私の自惚れはそうでもしないと覚めなかったと思います。

 

同じ年齢の長子を持つママ友でも、

30代前半、つまり10歳くらい年下の人も数人いるのです。

 

そんな彼女たちがよく口にする、

 

「ヤバ!」

 

という感嘆詞に、ジェネレーションギャップを感じ、

 

7歳の息子が最近、

 

「ヤバ!」

 

と同じトンマナで言い始め、

『もはや世代の切れ目はそこですかい?』と思うものの、

そこで切られていてももはや不思議はないと納得すらしてしまうほど、

一度目の成人式(35歳)からも年月が過ぎました。

 

今後44歳、45歳、そして50代がすぐそこに見え始めた私が、

 

「超かわいい!」

 

「むっちゃかわいい!」

 

と言うのは結構イタイのか。

そろそろ

 

「すごくかわいい。」

 

という言い方に慣れるべきか。

悩ましいところ。

 

 

しかしこの『ガラスの50代』を読んで、

未知の世界である50代にもまた、

二度目の成人式があるように書かれていて、

安心したというか、

またそれなりに楽しい年代なんだろうなと、

 

『今日頑張ったらあの大福食べられる』

 

みたいな楽しみを見いだせたような、

そんな良い読み物でした。

 

 

『負け犬の遠吠え』を書いた頃の私は若かった。

 

そうご本人が書いているのを読み、

私自身が中野の一人暮らしの部屋で『負け犬の遠吠え』を読んだのを思い出し、

確かに若かったと、

一度目の成人式以前の自分を思い返しもしました。

 

さて、そろそろゴムまりみたいな若者が帰ってくる頃。

壁や床や私の体にボインボインとぶつかりながら命を迸らせる子供。

ご飯を作ります。

 

 

 

 

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