生まれてはじめての『モテ期』

 

おはようございます。みゆきです。

7歳と5歳の息子ふたりを育てています。

 

先日ね、初めて小学校の旗持ち当番をやったんですよ。

去年はコロナのせい?多分旗持ち当番もやらなかったんですよね。

 

子供2年生にして初の旗持ち当番。

行くまではそりゃ『かったりー』と思いましたが、

やってみると、

これくらいの頻度なら保護者がやっておくのはいいかも、

と思いました。

 

新一年生が体の半分くらいの大きさのランドセルを背負ってヨロヨロ歩いているのは

すごくかわいかったです。

 

 

そうそう、その旗持ち当番へ向かうとき。

長男が私と一緒に行きたいと言うので一緒に家を出ました。

登校には少し時間が早かったのですが、

まぁいいだろうと。

 

いつも彼はひとりで「いってきます」と家を出ていきます。

ランドセルに手提げ、今日は鍵盤ハーモニカも。

学童の荷物やらなんやら。

いつものことですが荷物が多い。

 

横を歩く長男。

なにかゴショゴショとしゃべりながら、

不器用に手提げを左手に持ち替えています。

重いよね。

大変そうだけど、持ってあげるほどではないか。

 

うんしょ、と手提げを左手で不器用に持ち、

空いた右手で私の手を握ろうとしました。

 

彼が大きな荷物を持ち替えたのは、

私と手をつないで歩きたかったからだった。

 

それに気づいたらもうかわいくて、

左手の荷物は持ってあげて、

学校まで手をつないでいきました。

 

なんのときだったか昔、

家族で家で過ごしていたとき、

まだ小さかった子供たちに私が言ったんですよ。

 

「ママ、あなた達が思うよりもあなた達のこと好きだからね。

もしかしたら、あなた達がママのことを好きなのよりも、

ママのほうが好きかも。」

 

そうしたら夫が言いました。

 

「い~や!それはない。

子供のほうがママのこと好きだよ。」

 

言われてみたらそうだなと。

私にしても夫にしても、

私たちのことをこれほどに愛し、求めている人間はいないですよね。

 

親ももちろん子供のことが好きですが、

彼らが親を求める気持ちのほうがやはり強固であると思いました。

コーディングされたプログラムが自動的に走るように、

生まれた彼らは、そばにいる大人の『愛情』と『ケア』を求めます。

 

 

こちらがどれだけ疲れていても、

どれだけ叱られた後でも、

当然の如く何も言わずに膝に座ってきて

そこでくつろぐ次男。

 

朝起きて、

キッチンで朝食を作る私のところへトコトコとやってきて、

 

「ぎゅーしてくーだーさーい。」

 

とこちらを見上げる小さな人。

 

愛されちゃって、求められちゃって、困る。

 

こちらに余裕があるときは

「かわいいな」

としか思いませんが、

 

どんな状態でも自分勝手に求めてくるのが子供というもの。

無下にしたところで、私は誰からも具体的に責められるわけではなく、

お咎めはナシ。

彼らの運命は私が握っているのだということも、

常にひしひしと迫ってきます。

 

親って絶対的権力者だなと。

『モテ』って権力ですよね。

 

『ケア』とは、

権力の絶対的な非対称性のもとで

非暴力を学ぶ実践。

 

 

上野千鶴子氏の言葉です。

 

だよね~と、

見上げる小さな人を見るたびに、

自分の権力を突きつけられるようです。

 

その上で、優しくお世話してあげる、

それの継続が『ケア』であると。

 

 

ちょっと前、そうだな、5歳くらいか。

それくらいまでは少々距離のあった長男とパパも、

パパの在宅勤務のおかげで距離は一気に縮まりました。

 

たま~にですが、

パパの元にトコトコと行き、

 

「ぎゅ~」

 

と要求する7歳児。

 

まんざらではなさそうにデレデレと子を抱きしめる45歳。

 

7歳の『ぎゅ~』も、もう日に一度あるかないか。

彼の中に十分な『ぎゅ~』が貯まりつつあるんでしょうか。

 

 

 

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