こんにちは、ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
いつも読んでいただきありがとうございます。
先日、姉と、姉の友人のアメリカ人男性と遊びました。
雨の週末で、子連れ仕様の場所選びに難儀したのですが、近所の児童館で待ち合わせて、雨の中みんなでゆっくり歩いてマクドナルドへ行って、図書館へ行って帰る、といういつもの家族での週末コースをご一緒いただきました。
体の大きな、物静かで穏やかな、素敵な方でした。
先に児童館で子供と遊んでいて、途中から姉と友人男性が合流しました。
子供らも初対面です。
日本語も一切通じません。
それでも彼らは、当然のように飛びつき、膝に座り、遊ぼうと誘っていました。
次男に至っては、もうなんというか、
「なんでそんなに?初対面でしょ?」
と聞きたくなるほどに彼にご執心でした。
彼がトイレに立つと入口でずっと待っていました。
そして戻ってきた彼に飛びついて、しがみついていました。
当然のように膝に座る次男を見ながら、私と彼は『真のイノセンス』について語り合いましたw
マクドナルドでも次男は彼の膝の上から動こうとしませんでした。
ホントにステキな方で、私の人生で3人目くらいに会った、『100年の孤独』という古い文学作品について語り合えるようなCOOLな人でした。
(焼酎の『100年の孤独』について語り合える人も同様にCOOLです)
話は変わるようですが、
この↓ふたりが対談した時の話を、姉に聞きました。
落合氏はお子さんがいるそうなのですが、
「日本の学校には絶対行かせたくない、堀江さん学校作ってくださいよ~」
とのこと。
日本の学校は、子供たちの創造性を奪い、平均値の枠に収めようとする教育方針だと。
私が肌で知る学校教育は20年以上前のものなので、いまとはずいぶん違うのでしょう。
うちの子供らはまだ保育園児なので、いまの学校教育についてはあまり知りません。
まぁしかし、彼らはそう仰る。
いや、私がいまから、子供らを日本の学校に行かせずに海外の、もしくはインターナショナルスクールに…という選択肢はほぼ無いに等しいですが、いろいろと考えさせられました。
ここからは想像でしかありませんが、日本の学校が子供たちを型にはめようとしている雰囲気はなんとなく感じます。
あくまで外からの印象ですが、例えば税務署へ行くと、小学生たちの書いた『税金』に関する絵画が飾ってあります。
『みんなのための税金』
『ちゃんと払おう』
作風も、20年前にも見たような、教科書の見本をアレンジしたようなものしか見当たりません。
まだ幼児の次男などを見ると、この子の人懐っこさというか、人の好みというか、この子の個性って、あるよなー、と思います。
長男にしても同じこと。
それが学校へ行くことで、どんなふうに変化していくのかな、と。
どこの国でも、子供の世界の中にはある程度の同調圧力があると思いますが、日本のそれは社会全体にも通じています。
再来年には長男も小学生です。
彼らの通う学校がどうであれ、私は彼らをいろんな国のいろんな場所へ連れまわして、いろんな人と遊ばせるつもりです。
それが彼らの中でどんな化学反応を起こして、どんな人になるのか、まだまだ心配も苦労もあるんだろうけど、楽しみになことには変わりないです。
彼らが幸せだと自覚してくれればなんでもいい、と今は思っていますが、親となるとそれも、言うほど簡単ではないのだろう、とも思います。
今日は、この辺で。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。