おはようございます。みゆきです。
9歳と6歳の息子ふたりを育てています。
子供たちには、自分らしく生きて欲しい。
型にはめられず、偏見に左右されず、
自分のままに。
これってもしかしたら、
息子たち、そのまた子供たちにしたら、
ピンと来ないのかもしれない、
という話。
この本を読んでるんですよ。
最初にまず、相変わらず酒井順子氏はおもしろいので
おススメ本です。
時代の中で生まれる言葉、死んでいく言葉について書いているんですが、
『自分らしく』
というのがそのひとつ。
私たちの時代、もちろんいまも、
『〇〇はこうあるべき』
の圧にいろんな人が苦しんでいる時代です。
その型が窮屈だと感じる人が多く、
その型を脱する人が注目されたり話題になったり、
そしてそれがムーブメントになったりしています。
人種
体型
性別
年齢
職業
人類がこれまで無数に産んできた型。
いまはそれらから脱しようぜ。
という時代。
だからこその『自分らしく』ということば。
そもそも誰も『こうあれ』と強制されていなければ、
『自分らしく』ということばも生まれていなかったわけです。
私が育った時代はそれこそ、型の時代だったと思います。
私もみんなも、
『その型は窮屈なんじゃい!』
と
『自分らしさ』を求め、
消去法でそれを見出そうとしてきた気がします。
服装や化粧、仕草や言葉遣い。
あるべき型からの外し方で
『個性』を浮かび上がらせる手法。
でも今の時代、
その型による圧をどんどん薄くしていこうという方向性。
息子たちが大人になるころ、
またその下の世代のころにはむしろ、
基準となる型を求めて右往左往していたりするんじゃないか。
そうなると『自分らしさ』ではなく
『男らしさ』や『日本人らしさ』が流行ったりしたりして。
「あなたらしく生きて欲しい」
私が息子たちにこう言っても、
もしかして彼らはピンと来ていないんじゃないか。
↑の本を読んでハタとそう思いました。
私も親のはしくれとして、
子供には普遍的なメッセージを託したいと思うものです。
しかしことばや概念には、
やっぱり当然だけど時代が反映されているんだな~と、
そんな発見をくれる本。
私が通った公立中学校は、
一般的なレベルで校則があり、
スカートや靴下の長さ、髪ゴムの色、靴下の色などが
決められていました。
それがあったから、
制服のない高校があんなにも自由に感じたんですよね。
校則がほとんどない高校に進み、
型がないというより、
型が大きくなった感じで、
その型の中で自由に動き回ることを楽しんでいました。
しかし時代が進んで、
公立中学校の校則もどんどん緩くなると、
いま私の母校へ通う高校生たちは、
むしろ制服を着る率が高くなっていると聞きます。
理由は想像するに、
ラクだから。
『自分らしさ』を消去法で見出せないとしたら、
息子たちはどうやってそれを形作っていくのか。
『自分らしさ』に対して価値を見なかったりする方が
むしろ幸せなのだと思いますが、
きっと私はそこに寂しさを感じたりするんだろうな。
『こういうもん』
と漠然と人間たちが思っていることが
時代とともに移り変わって、
それが昔とは変わっている、
という現象が
すごくおもしろいな~と
考えを巡らせます。
例えばオンデマンドでコンテンツを見る時代の子供たち。
私が子供だった時代にように、
食い入るように予告を見たり
1週間焦らされたりすることもないので、
アニメの歌も見ないし
『いちばんいいところ』の直前でも
テレビを消すことができるんですよ。
だって、見たい時にいつでも見られるから。
返って親のほうが
「そこでとめるんか~いっっ!!!」
となりません?
たまに見るリアルタイムのテレビが
いましか見られない
ということを説明するのが大変だったり。
そして人類は、
『よりよい』
状態へ進んでいるのかしら。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。