おはようございます。みゆきです。
ずっと考えていたんです。
なぜか私、長男が4歳の頃より、
次男4歳のほうが『かわいい』と感じるんです。
説明が難しいのですが、
我が子としてのかけがえのなさや、大切さには変わりはありません。
第一子と第二子の違いもあるかもしれないのですが、
そういう感覚とも違います。
確かに第二子の次男のほうが『気楽さ』というか、
大まかな先がわかるので、
第一子の長男のときのような不安感などはありません。
でもそういうことじゃないんです。
なんというか次男、
色が白くて、皮膚が薄くて、未だに首元や背中に青い血管が透けて見えるほどなんです。
ほっぺがモチモチで、体も小さめで、頭も小さくて、
髪が細くてツヤツヤなんです。
一方の長男、
色黒で皮膚が厚く、骨太でガッチリしていて、
男児っぽい硬い髪で、
体が大きく、頭も大きめです。
長男も次男も、同じくらいに大切なんですが、
次男の顔をマジマジと眺めたり、
次男をハグしたりしていると、
なんというか、
グッッッ・・・と来るんです。
か、かわいい・・・って。
で、この『かわいい』という感情、
同じ感じを、ネコを見て思うんです。
この、私が次男やネコに対して思うこの『かわいい』は、
「そのワンピース、ちょーかわいい!」
の『かわいい』とは違うんですよね。
ワンピースの『かわいい』はおそらく、
『素敵』『美しい』のほうがむしろ正しい表現なのでしょうか。
つまりですね、
私が次男やネコを見て、
「かわいい・・・」
と
グッッッ・・・と来るこの感情。
これは、
次男やネコが、弱そうに見えるから、なのです。
弱そうに見えるから、
守らなきゃいけない、その本能的な感覚が、
この『グッッ・・・』なのです。
この本能的な感覚が、同じ種の弱い命を守らせるものなのだと思うんです。
先日、公園に行っていまして、
地面にうずくまって何かを探している次男を、
少し離れたところから見守っていました。
そして、次男の近くに、もうひと組の親子が遊んでいました。
3歳位の子とお母さん。
そして、そのお母さんがこう言ったんです。
私にも、次男にも聞こえる声のボリュームで。
「あ!タオル忘れた!」
その声を勘違いした次男、
「次男くん、タオルもってきた!」
と瞬間的に叫んでピョコン!と立ち上がりました。
私は、そのお母さんと目を合わせて、
堪えきれなくて笑いました。
だってすごくかわいかったんです。
そうしたら次男、すごく怒りました。
笑うなって。
これもやっぱり、
次男が『かわいい』・・・→『弱い』から、
笑ったんです。
例えば同じ勘違いを今の7歳の長男がやったと想像したら、
次男のときほどは笑えなかったと思います。
いやね、
もちろん次男はまだ4歳なので、
『かわいい』んですよ。
弱いんです。
でも、あまりにもこの私の、『グッッッ・・・』とくるこの感覚に
身を任せるのは、違うんだろうなと、思っています。
次男の間違いを『かわいい』と笑わないこと。
『かわいい』姿を見たくてイタズラしたりしないこと。
例えばプールでは、
親が子供の『かわいい』姿を見たくてイタズラしている、
そんな光景をよく見かけます。
ちょっと水をかけて慌てるその顔は、
確かにすごく『かわいい』んです。
「やめて!」
と訴える顔すら、
『かわいい』んです。
その感覚はすごくすごくよくわかります。
でもこれはやっぱり、
弱い姿を『かわいい』と楽しんでいるんですよね。
でも本人は、本当に嫌なんですよね。
その気持もすごくよくわかるので、
だからそういうイタズラも、私はしないようにしています。
でもたまにふとやってしまって、あとから気づいて反省することもあります。
この『グッッッ・・・』と来る感覚は、
我が身を呈して弱い子供を守る気持ちの源泉でもあるので、
否定するつもりはありませんが、
我が身を呈して弱い子供を守るような状況が
そうそうある時代でもありませんので、
自分の感覚も、冷静に俯瞰したいなと、
そう思うのであります。
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。