おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
『モテ/非モテ』
それによって若いときは、様相が全く違うと思います。
私はもちろん、後者です。
学生時代は、『モテ』グループに属する目のデカい女子たちを、柱の陰から観察して歯ぎしりしていました。
大学はアメリカだったのでちょっと例外で、また日本に戻って、
働き始めてからは、学生時代ほどの残酷さはないものの、
やはり目のデカい、足のきれいな『モテ』女子たちがいて、
私はやっぱり『モテ』人生を味わうことはありませんでした。
でも、正直やっぱり、結婚して、子供を産んで、そして40歳ころになって急に、
スコン!
とラクになりました。
『モテ』や『美魔女』の窮屈なプレッシャーから解放されて、
「いやぁ~・・・もう傷の治りが遅いオバチャンですからぁ~」
と笑っても、自分も回りもそれを受け入れてくれる年齢になったというか。
要注意です。
電車の中で読むと、笑うのを堪えるのが大変です。
引用したい箇所が、山ほどあります。
私は東でコアリズムが流行ればアマゾンで購入し、西でイージー・ドゥ・ダンササイズが流行ればアマゾンで購入し、未開封のまま3年ほど放置する人間。昨日は好物のレーズンバターを1本食いした。
そんな私は美魔女を見ると「スゲーがんばりやさんだな」と素直に感心する。雑誌に登場する美魔女たちは「朝ヨガに昼エステ、夜はマクロビディナー」とキラキラした日常を送っており、自分とは住む星が違うように見えるが、名前を見ると「千恵子」「順子」など、一切キラキラしておらず親近感を覚える。
このJJが男にチヤホヤされたいために、女磨きしてると思ってるのかァーーーーーッ!!!
巧妙に自虐とオタクネタ、下ネタを交えて、でも結局は、若い女性たちに向けたメッセージや、
「あなたたちは男に選ばれるための商品じゃない!!」
女性全般、ジェンダー問題に関するメッセージに溢れた、かなりの社会派エッセイだと思います。
プラスに注目することを「ポジティブシンキング(笑)」と揶揄する声もあるが、こんなしょっぱい世の中で、自分くらい自分に甘くしないとメン(タル)がもたない。
「多様性を認めよう」と言いつつ、現代日本は品質管理社会で「この大根は太すぎる」「このカボチャは形が悪い」と規格外は排除される。
女性は特に完璧を求められがちで、「母として妻として働く女として活躍しろ」とス―パーウーマンを要求される。
JJ(熟女)と自身のことを揶揄しつつ、
女性に向けた励ましのメッセージが詰まった、素敵な本だと思いました。
(若い女性へ向けて)
「男に選ばれなくなったババアに価値はない」という思考は、いずれブーメランになって返ってくる。
自分が進む道にウンコを並べていると、そのウンコで滑って転んでクソまみれになるのは自分だ。
わかりやすくて、面白くて。
本を読んで声を出してゲラゲラ笑ったのはすごく久しぶりでした。
電車の中で読んだ時は、唇を噛んで笑うのを堪えました。
普段本を読まない方や、私も含めて『普通の』本を読んでいる人にしたら、
『シモネタ』の限界を突破することになると思いますが、
それでもいま、41歳の時にこの本に出会えた幸運に感謝したいし、
30歳の自分にも読ませてあげたかったと思いました。
思わずこちらもポチりました。
でもこの手法と言うかスタイルと言うか、
自虐や揶揄で口当たりを良くした社会派エッセイは、
酒井順子氏のこの本を彷彿とさせました。
『非モテ』グループに属する自分を認めたくなかった10代、20代がありましたが、
もし私に娘がいたとしたら、
『男性に娘の価値を決められるなんて、真っ平ゴメン!!!』と思ったと思います。
当然同時に、そんな価値観を息子たちも持たないような、そんな社会になったら、
きっとみんなが窮屈な思いをしないで済むんじゃないかな、と思います。
これは持論なんですがね、
美人さんほど、謙遜が上手いと、思います。
幾重にも重なった『謙遜』で、すべての『穴=突っ込まれポイント』をカバーする術を、
美人さんたちは身につけていくんでしょう。
褒められたり、ナンパされたり、羨ましいと言われたり、
そんな機会が多い人ほど、本当に謙遜が上手です。
いつもすごく、残念な気持ちになります。
「今日もキレイだね」
「ありがとう!」
それでオッケーな空気の中では、『非モテ』という言葉も存在しないと、思うんです。
とにかく、いろんな状況の、いろんな年代の人に、
ぜひ読んでいただきたい本です。
そして、いちばん笑ったポイントがどこだったか、教えて欲しいです。
ちなみに私は、統一表記の校正のところです(笑)
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。