おはようございます。ワーキングマザ・サバイバルのみゆきです。
我が家は基本的な洗濯は私が担っていますが、夫が仕事に着ていく服(少しちゃんとした?Tシャツとズボン)は彼が自分で洗っています。
洗い方にこだわりがあるようで。
先日の朝、子供を保育園に送っていく夫が、出る前に仕事着を洗濯機に入れてスイッチを入れて、そのまま出かけました。
私は、何も言わないけど「干しておいてね」ということか、
頼むのを忘れたのか、そんなとこだろうと、洗濯機が終了したところで特に考えもせずに干しました。
すると玄関が開く音。
彼は、保育園に子供らを送ってきた後、一旦家に戻って自分で干すつもりだったそうです。
元々午前休の日だったとか。
「あ、干しといたよ」
「え!?マジで!!!???えーーーーー!!!
ママが干すと首が伸びるから嫌だったんだよーーー!!!
あのTシャツは重いから、専用のハンガーで干さないと伸びるからー!!!
マジかーーー!!!ミスったーーー!!!言っておけばよかったーー!!!
ミスったーー!!!バカったーーー!!!バカだーーー!!!ミスったーーー!!!
(以降5分ほど繰り返し…)」
いや、別にいいんですよ。
もうこういうのには慣れてるし、腹も立たないし、傷ついたりもしません。
「ごめんね」と謝りました。
でも、どう思います?
私は、良かれと思ってしてくれたことには、気遣いを示すもの、と育てられたし、
そういうものだと思ってずっと生きてきました。
私が同じ状況になったら、
「あ、ありがとう。でもごめん、専用のハンガー使いたいから干しなおしてもいい?
せっかく干してくれたのにごめんね?」
と言います。
夫にしても、私を責めているわけではありません。
責めているのは、ちゃんと言っていかなかった自分。
そこに、良かれと思って干してあげた私への気遣いがない、というだけです。
こういうことがあるたびに、
こんなにも違う人間が一緒に暮らしていく意味ってなんだろう?
と考えさせられるのです。
共に子供を育てていく、というのはわかります。
そこは納得いきます。
では、子供が独立した後は???
子育てはあと15年もすればほぼ終わりますが、結婚は本来一生続くものです。
彼との根本的な価値観の違いに出会うたびに、私はそこに意味があるのか、と自分に問い続けてきました。
だって、意味がなかったら続けられないっっ
夫自体は、まれにみる素直な人で、良き夫、良き乳…違う…良き父になろうと頑張って、実際に変わってきています。
彼に問題というか、彼は悪くありません。
もう…助けて~…と思っていた時です。
たまたま何かのサイトを見ていたら、私が勝手に心の師としている鴻上尚史氏が、人生相談を始めるということで、相談を募集しているではないですか。
私はこの人の言うことは死ぬまで追いかけると決めています。
とにかく彼はいつも、私に生きるヒント、希望、指針となる言葉をくれるのです。
鴻上さ~ん!!!助けてー!!!
とガーッッッと『結婚に意味なんてあるんですか!?』と”悩み相談”を送ったところ、
忘れたころに、編集者さんから連絡が。
「あなたの悩み、採用します」
マ、マジかーーーー!!!
答えてくれるのかーーーー!!!???
もうね、首を長~くして、鴻上氏の答えが読める日を待ちわびていました。
そしてご丁寧にも、掲載誌まで郵送で送っていただきました。
ウェブにも上がったので、皆さんにもお知らせします。
私のように『結婚の意味』を求めている方がいれば、参考になれば幸いです。
記事は、こちら⇒
(相談者:40歳 女性 すす)というのが私です(笑)
せめて投稿者の名前を”みゆき”にするべきだったと後で気づくほどに、素で悩みをぶつけました(苦笑)
私は思春期だったのか…
鴻上氏の言う通り、確かに私は『結婚の思春期』にいるのでしょう。
人生に意味を見出そうともがき苦しむ『人生の思春期』は覚えがあるので、確かに言われてみると納得。
そして私が『結婚の意味』を考え続けているのは、
「結婚にはきっと意味があるはず」と思い込めていることの証。
あああああぁぁぁぁ…
鴻上さん、シュキ…
引用はあえて少なくしておきます。
興味のある方は、リンク先AERA.dotの記事を読んでいただければと思います。
掲載誌を夫も読みました。
そして、こう言いました。
「さみしいな」
だからこう問いました。
「じゃあ、あなたの思う『結婚』てどういうもの?」
「え?!それは…こう…人生を共に…過ごす…?」
そうです。
私はあなたと、人生を共に過ごしたいと思っているんです。
だからこそ、だからこそ、どうしたら両者が我慢せず、心地よく、幸せに
『人生を共に過ごせる』のか、それをずーっと考えていたんです。
ここでもさんざん彼に対する文句を書き連ねてきました。
確かに文句もたくさんありましたし、まだ毎日ありますが、同じくらい彼のことが人として好きなのだと思います。
すべてを凌駕してしまうほどの素直さや、本質をシンプルにつかむ力、表現ができないだけの底なしの優しさ。
週1、2回会うだけの生活とひと言で言っても、実現の仕方は無数にあるということ。
必ずしも別々に暮らす、わけではないということ。
東京にひとつ、田舎にひとつ、とふたつ家を持つことができて、それぞれが好きな時に好きなほうにいれば、
結果的に週1回しか顔を合わせないことになるかもしれません。
私が彼をATMマシーンとして好きなのではないのと同じように、
彼にも私を、家政婦として好きでいて欲しくないのです。
この結婚の意味をとことん突き詰めることは、私の彼に対する愛情の証だったんじゃないか。
鴻上さんの答えを読んで、思いました。
生きるのも修行。結婚も修行。
でも、修行の中にしか、とびきりの楽しみも喜びも革命も、ないのかな。
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