ワーママの後ろめたさ。

 

おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。

7歳と5歳の息子ふたりを育てています。

 

私は、次男が2歳のころに会社を辞めて、

いまはフリーランスで働いています。

 

夫が在宅勤務になったこともあり、

今は夕方夫婦ふたりで長男を「おかえり」と出迎え、

どちらかひとりが交代で次男のお迎えに出かける生活です。

 

そしてこれがいま、すこぶる気に入っています。

なんせアレがあります、アレが。

 

そう、ゆとり。

ずっとずっと欲しかった、ゆとり。

ゆとりが無いばっかりに、私は会社員を続けることができませんでした。

もちろん、会社員以外でやりたいことがあったことも事実ですが、

でももし、会社員のままでいまの『ゆとり』があったなら、

会社辞めてたかちょっと微妙です。

 

『ちゃんと子育てできていないような後ろめたさ』

いつもいつも私につきまとっていました。

子供との時間を、質と量において十分にとれているかと、

いつも自問している自分がいました。

 

その割に、仕事に存分に打ち込めている感覚もなく、

すべてが中途半端な気になり、

『このままじゃダメだ』と思いました。

 

ちゃんと子育てできていない気もするし、

同時に仕事もいつも忙しなくて、

ただただすべてが目の前を流れていくだけで、

何をしている実感もなく、

後ろめたさばかりが大きくなっていきました。

 

これってやっぱり、私が専業主婦の母に育てられたから、なんでしょうか。

加えて社会が描く子供や家族像の影響?

 

例えば、例えばですよ。

自分が子育てに取り組むのと同じレベルで夫が子育てに取り組んでくれて、

夫に任せておけば安心だと感じたなら、

ある程度仕事に打ち込んでも心にゆとりは生まれていたんでしょうか。

 

もしくは、夫どうこうではなく、

やはり自分でやりたかったのか。

 

そのレベルは人それぞれでしょうけど、

やっぱり夫の参加度合いが鍵のひとつではあるのかもしれません。

 

本来は例えば祖父母やシッターさんと

子供たちが信頼関係を築いて成長していっても良いはずですが、

 

どこか私は、

まずは両親がやらなきゃ。

と思っているのだろうなと、改めて感じたわけです。

 

 

いつか、『ワーキングマザー』という言葉が死語になる日を見てみたいと思っています。

 

女医という言葉はあっても男医という言葉がないのは、

女性の医師が珍しかった、特別視した時代があった(ある)から、ですよね。

OL(オフィスレディ)という言葉が消えつつあるように、

ワーキングマザーも、

働く×マザーがもっと普通のことになれば

使われる頻度が少しずつ減っていくんですよね。

 

フリーランスは自由度が高いので私は気に入っていますが、

会社員のメリットはすごく大きいし、

それぞれの理由で会社員を続けたい、仕事を続けたい人が、

無理なく続けながら、且つプライベートも楽しめたらいいなと、

思います。

 

いやね、たまに会社員時代が恋しく感じることがあるんですよ。

かと言ってもちろん会社員に戻る気持ちは無いんですが、

今の私は結構、1日中仕事のことを考えています。

大体の時間はそれが楽しいんですが、

たまにそれが逆にしんどいと感じる瞬間もあります。

 

会社員なら、基本的には就業時間が終われば

仕事のことは忘れていられました。

 

今は子育てと仕事がシームレスにつながっていて、

子育てに仕事を、仕事に子育てを持ち込むことでバランスを取っていますが、

そこがパッキリ別れているのも、

それはそれで良かったなと、思うのです。

 

何の話をしているのか途中からわからなくなりましたが、

とにかく、私はある意味挫折した、

『会社員×子育て』を心地よく続けられる社会の仕組みが整ったら、

嬉しいなと思います。

 

そしてあの『後ろめたさ』も、

過剰なプレッシャーだとも思うので、

夫の育児参加と、私達の心の改革も。

 

いま?今は、後ろめたさはゼロなんですよ、これがまた。

でもきっとそれは、実際に『ちゃんと子育て』をしているかどうかではなく、

やっぱりあくまで『気持ちのゆとり』の問題なのだとも思います。

 

 

 

☆働くママ・プレママ☆

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