おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
先週末、息子たちを連れて近所の公園へ行きました。
私も夫も、長男、次男それぞれをゆるく見守りつつ、別々に園内をフラフラしていました。
週末の公園は、子供たちがたくさん遊んでいました。
すると3歳、4歳くらいの男の子と女の子が、遊びながら鉢合わせして(子供って前を見なかったりします)ぶつかってしまいました。
たまたま女の子のほうが転んで泣いてしまいました。
見ていましたが、お互いただの不注意でした。
女の子は確かに地面にビタン!となりましたが、ケガするほどの衝撃には見えませんでした。
「あらあら・・・」
と思っていたら、
男の子のほうのお父さんが一目散に飛んできて、
その男の子が転ぶほどに、彼の胸の辺りをドツきました。
「気をつけろ!」
女の子のお母さんが駆け寄って、男の子のほうに、
「そちらは大丈夫でしたか?」
と声をかけると、
男の子のお母さんが、
「うちはいいんです。男ですから」
ダメ押しでまた男の子のお父さんが、男の子の胸ぐらをつかみ、そのまま男の子の体を持ち上げて、
「気をつけろ、コノヤロォ!」
とすごみました。
終始男の子は無言でされるがまま、顔はこわばっているように見えました。
最初にお父さんが子供をドツイた時点で私は「あぁっ・・・!」と声が出てしまいました。
(少し遠かったので聞こえなかったと思います。)
その後は口を覆い、目も覆いたくなりました。
誰もわざとじゃないし、そりゃ気をつけなきゃいけないけど、
まだどう見ても3歳、4歳くらいで、それくらい仕方ないんじゃないか。
ふたりとも大丈夫?ふたりとも気をつけよう。
それじゃダメなのか。
その後ずっと、公園にいても嫌な気持ちが付きまといました。
単純に男の子がかわいそうだと思いましたが、その両親にも、勝手に想像を巡らせてしまいました。
女の子にケガをさせたり痛い思いをさせることは無条件に悪で、男の子は多少殴られても当然なんでしょうか。
『男だから』大丈夫なんでしょうか。
生物学的に男性のほうが、筋力が強いのは事実です。
だから仮にその子供の時点で力に差があったとして、気をつけなきゃいけないのも事実かもしれません。
しかし、男の子だって痛いもんは痛いでしょう。
痛みに差は、ないんじゃないだろうか。
男性は、多少の身体的な痛みは『大したことない』『みんなこれくらいじゃ騒がない』とやり過ごさないといけないんでしょうか。
自分の痛みや衝撃を、『大したことない』『仕方がない』と片付けなきゃいけない人は、人の痛みをどう感じるのか。
人の痛みも同じように『大したことない』『みんな我慢してる』と片付けようとしないのか。
自分の子が外で何か粗相をしたとき、
厳しく叱ることを社会が求めているように感じること、ないですか?
電車内で大きな声を出して騒いでしまった時、
その声を静めることよりも、
『私ちゃんと叱ってます』
と回りに示すために、回りの人に聞こえるように叱ったり、見えるように静止したり、私はします。
しないといけないような、そんな気がします。
男性に、女性に、男の子に、女の子に、子供に、親に対する何種類かの社会的プレッシャーを、
その公園での家族に見たような気がして、
私はひとり勝手に、悲しくなりました。
人のご家庭なので口を出すわけにはいきませんが、
社会が変わることでしか、こういう状態は変わらないのだろう、とも思いました。
何が良くて、何が悪いか、
何が正しくて何が間違っているのか。
それはよくわかりませんし、多分どっちでもないんですが、
全ての人の『悲しい』『ツライ』『痛い』『苦しい』『怖い』の総量が、少なければいいな、と思います。
そしてその『悲しい』自体も、時代に合わせて移り変わっていくのか、普遍的なものもあるのか。
それもよくわかりません。
私もまだまだ、つい子供たちに怒鳴ったり、乱暴な言葉&口調で『命令』したりしてしまいます。
そうすると同じように、子供たちも怒鳴ります。
そうしてハッとします。
静かに言って聞かせることは、とにかく時間と手間と根気がかかります。
その時間と手間と根気を私が惜しむことに、どれほどの価値があるのか。
わかっちゃいるけどぉぉぉ
子育ては自分育て、とはよく言ったもんです。
今日も相変わらず、トホホ・・・です。
お疲れ様です。
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お忙しいところすみません。。
いつも応援ありがとうございます。
自分以上に頼りになる人、いますか?