おはようございます。みゆきです。
8歳と6歳の息子ふたりを育てています。
子供の無限の可能性。
子供を育ててみて、目の前ですくすくと成長されると、
やはりまじまじと思いますよね。
彼らの存在が、『ザ・無限の可能性』って感じ。
私は今から宇宙飛行士にはなれないけど、
彼らはなろうと思えばなれるわけですよね。
知らんけど、多分。
そうなると途端に、なんかやらせなきゃ?と思う親心。
習い事然り、学校選び然り。
今の時代はアレをやっておいたほうがいい。
この変化の多い時代には〇〇力。
アレをやっておくと発達を促す。
親心に付け込むプログラムが
あとからあとから出てきます。
そんな話、昔友人家族と一緒にキャンプに行ったときに
していたんですよ。
子供たちが横で遊びながら、
大人たちで焚火なんか囲みながらさ。
「習い事とか塾とか、考えちゃうよね~。」
なんて。
私、夫、友人妻、友人夫の4人で話してたんですけど、
四人四様じゃないけど、
あんなことできるようになったらいいじゃん、とか、
これはやっぱり習わせておきたい、とか、
話してたんですがね、
私は例えば、
長男が絵とか工作とかが好きなので、
絵画教室とかが気になるわけですよ。
大人になってから趣味として描けるとかも素敵だし~、なんて。
そんでそのね、
話していた友人のママさんは、
そういう美術系の仕事というか、
絵を描くことを生業としている人なんですね。
そしてそのママに言わせると、
「絵なんか別にさ~
描きたきゃ描くし。
それよりもやっぱり、それなりに勉強はできたほうが良いと思うんだよね。」
と言うんですよ。
でも私に言わせると、
「勉強なんか別にさ、
できなくてもどうとでも生きていけるじゃん。
それよりもさ、やっぱアートのほうが貴重っていうかさ。
人生が豊か?じゃない?」
しかしその彼女に言わせると、
自分は勉強を頑張ってこなかったから、
ちょっと後悔、後悔ってほどでもないけど、
『ちゃんとやっとけばよかったな』
と思うと。
そして夫に言わせると、
「やっぱり英語はできたほうがいいよね。」
私は
「英語なんか必要なら覚えるよ。
それよりプログラミング?」
夫は
「プログラミングこそ必要なら覚えるし。」
なんか結局みんな親はさ、
自分ができなかったこと、できないこと、
そういうことを子供にやらせがち?
やらせたいと思いがち?ってことない?
そんなことない?
と思ったわけですよ。
例えば私は、英語は話せて、
学校の勉強も割と得意だったので、
英語が話せるようになる過程も、
勉強が面白くなる過程も
知ってるんですよ。
でも、絵を楽しめるようになる過程や、
プログラミングを覚える過程は知らないわけで、
そういう、自分は知らないところに
何か『宝』が隠れてるんじゃないかって、
思いがち?
なのかな。
実際は多分、
英語にも勉強にも、絵にもプログラミングにも『宝』はちゃんとあって、
みんな自分が既に持っている『宝』には無頓着で、
持っていないものを求めてるだけなのかなって。
そんな大人たちをよそに、
子供たちは彼らなりに遊び、喧嘩して楽しんで、
勝手に大きくなってるのかなと。
私の母がね、
私がエレクトーンを習い始めて、
「辞めたい」と言ったとき、
何度も何度も言ったんですよ。
「エレクトーンである必要はないけど、
大人になっても楽しめる趣味っていうか特技みたいなもの。
なんでもいいから持っておいて欲しいのよね。
お母さんなんにもないからさ、
何かやっておけばよかったな~って、
すごく後悔してるからさ。」
それを聞いて、そういうものかと思って
続けた節もありました。
母の言うことを信じて3歳から18歳まで続けました。
そしたら言う通り、続けていてよかった。
多分、
「やっておいたほうが良いからやりなさい」
というより、
そういう親自身の実感のこともった言葉のほうが、
子供には残るんじゃないかな~、とも思う、
今日この頃。
「ただいま」と帰ってきた長男を触ると、
思いのほかベタベタしている季節になってきました。
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お忙しいところすみません。。
いつも応援ありがとうございます。
自分以上に頼りになる人、いますか?