おはようございます。みゆきです。
7歳と5歳の息子ふたりを育てています。
上の子が小2になり、
そろそろ子供だけで公園で遊ぶ年頃になりました。
とはいえ我が家は次男がいるので、
必然的にまだ親がついていっている状態です。
なんらかの機会があれば、長男だけなら公園へ置いていって、
後で迎えに来ることもできそうですが、
次男がいつも長男と一緒に公園に行きたがるために、
結局いつも家族4人で公園です。
同じ年頃の兄弟のお友達と、先日公園で遊びました。
7歳と5歳、各2人ずつの計4人。
100均で買った柔らかい発泡スチロール的な剣で遊んでいました。
3人、4人でそんな剣を振り回して遊んでいると、
ふとしたときに誰かひとりが角で追い詰められて、
複数人でひとりを攻撃する形になってしまう瞬間がありました。
見極めが難しいですが、
角のひとりが嫌がったり泣いたりすると、
私やママ友は、止めに入るというか、
誰かが嫌な思いをするような遊びになっては意味がないと
場をコントロールしようとします。
それを見て夫が言いました。
「いいんだよ、あれくらい。
男の子なんて、ああやって遊んで、多少の嫌な思いして、
そうやって強くなったりするんだよ。」
これを聞いて、なんかモヤモヤしたのでちょっと整理します。
最初に思いついたのがこの動画でした。
夫はそうやって、
『男の子はそんなもん』
と言われ、扱われ、
そんな中を、嫌な思いもしたり、良い思いもしたりしながら、
大人になってきたんでしょう。
夫が事あるごとに、
願わくば息子たちになにかしらの格闘技を習わせたいと言います。
腕っぷしが強ければ、心の支えになると、
言います。
男の子の生きる世界って、本当に
『そんなもん』
なんでしょうか。
今実際にはそうなのかもしれませんが、
じゃあそれは、誰がそうしたんでしょうか。
そして、それでみんな、幸せなんでしょうか。
あるべき姿について、誰か考えたりはしないんでしょうか。
いまがそういう状態なら、それは『仕方のない』ことなんでしょうか。
アニメや本、大人の男性、
その全てが息子たちに、
『パワーゲーム』が彼らの生きる世界だと示唆しています。
チャンバラ遊びにしろ
取っ組み合いにしろ、
弱く、負けて、痛いと泣く子は、
『赤ちゃん』や『女の子みたい』なのでしょうか。
私が女だから、
男の子の遊び方に口を出したくなるんでしょうか。
女の子の世界が『正しいあるべき姿』だとも思いません。
遊びであろうとなんであろうと、
人が嫌がることをしないって、
男だろうが女だろうが、
基本的なことなんじゃないかと私は思うんです。
いたわりや思いやりは、
女性や女の子の専売特許ではありません。
チャンバラ剣で遊びたいなら遊べば良いんですが、
誰かが嫌な思いをするようなら
遊びだろうとなんだろうとそれはいけないことで、
人の扱い方として間違えていると
大人が教えずに誰が教えるんでしょうか。
子供たちが目にするアニメでは、
遊びや何かで負けたり嫌な思いをしたりすると、
とにかくそれに負けずに、
その嫌な思いをバネに頑張ることをドラマとして描きますが、
すべての人がそんなときに必ずしも
そんな嫌な経験を糧にできるものでもありません。
そんなときは逃げたっていいし、
何が悪いってそんな嫌なことをする人ですし、
それを跳ね返せないことは弱さではないし、
なんでそんなにも強い弱いにこだわるのか、
私にはさっぱりわかりません。
自分の弱さを認められないことが
男性のいちばんの弱さであると、
そんなややこしい男性の本質について書かれた本を読みました。
息子たちがこれから生きるにあたって、
彼らの生きる世界のことを知りたいと思って読みました。
夫を始め、世の成人男性にこの本の話をすれば、
きっと大半が笑うでしょう。
「そんな本」
て笑うと思います。
そしてそれ、その態度こそが、
男性の弱さの本質なんですよね。
なんでもかんでも笑って済まそうとする。
なんでもかんでも、向き合わずに言語化せずに、
『オレは大丈夫』と、無いものとする。
弱さや痛みを語る男性こそを『弱い』と笑う、
そんな男性がいちばん弱いっていう、
なんとも捻れた男性の弱さ。
とはいえ女性の方が虐げられている。
どちらかというと男性の方が大変。
そう言いたいのではありません。
ふたつの別々の論点の話。
私は、チャンバラごっこで子供が誰かの心を踏みつけたなら、
やはりその行いは正そうと思います。
そこにやっぱり、男や女は無いと思うのです。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。