こんにちは。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
つい2ヶ月前まで会社で働いていました。
10年目の会社、6年ほど同じお客さんの担当で、慣れもあり、
そこそこ効率的に仕事ができていました。
私は自分でも、営業という仕事が向いていると思っていましたし、それは今も思います。
同僚にも向いていると言われていました。
しかしね、んー…ふたり目の育休から復帰したころから、かな。
会社での仕事に、「なんか違う」と感じ始めました。
会社を見渡して、「ココじゃない気がする」
毎朝出勤しながら、「なんか無駄にしている気がする」
なんか違う、なんか違う、なんか違う、なんか違う。
営業の仕事であれなんであれ、仕事ってそれぞれ、それなりに奥が深いじゃないですか。
学べば学ぶほど、学ぶことはまだまだあって、
努力すればするほど、得るものもあります。
しかしね、もう「なんか違う」と感じ始めちゃうとね、
仕事や会社に対して、【努力】が一切できなくなりましたね。
積極的に手抜きはしませんし、ある程度経験があると大抵のことは流してでも、
事故にはならない程度にはこなせました。
でもさ、もうその時点でさ、
『オワッテルナ、コリャイカン』と思いました。
【努力】したいと思えないことに、1日のほとんどの時間を費やしているのだと気付いて、
「いまが違うなら、じゃあ何なんだ?」
と考え始めたわけです。
仕事は仕事と割り切って、仕事以外のことが充実していれば大丈夫、
という人もいるし、それはそれで素晴らしいことなので、あくまで私の話です。
『あの時私は頑張った』
とはっきり思えることって、何ですか?
私は、そうですね、
例えば、モチのロンで子育てね。
特に長男の時は、特に大変だったから、頑張りました。
投げ出すという選択肢はありませんでした。
子育てに関しては、いまも私の加減で【努力】を続けているし、
これからも【努力】を続けます。
あとは、古い話だと、高校受験の時も頑張りました。
滑り止めなしの受験だったので、本気出して勉強しました。
勉強は楽しかったし、期限付きだったので、割と楽しめの【努力】でした。
アメリカに留学中は、勉強にも遊びにも、とにかく若き毎日常に頑張っていました。
当時はおそらく、頑張ることも、楽しむことも、勉強することも、
とにかく生きること自体に【努力】していた感があります。
若かったわぁ~…キラッキラのギラッギラでした。
まぁいずれにしても、私なりにこれまでも今も、【努力】しています。
『あの時私は努力した』
とあなたがはっきり思えることって、なんですか?
努力するということは、その対象となるものに意味があるとあなたがみなすことである。それが重要だからこそ、人はいとわずに努力するのだ。もし何にも価値を見出さなかったり、価値あるものに向けて熱心に努力しないようであれば、あなたの人生は不毛となるだろう。
そりゃそうだろ、って感じかもしれませんが、
私にしたらちょっと小さなウロコが目から落ちる文章でした。
そうね。
子供や、彼らのこれからの人生に対して、私は価値や意味を見出しているから、
そのためには努力はいとわないと思っています。
自分のいまの仕事もしかり。
私なりに、おこがましくも使命感を感じさせていただき、努力しています。
夫との関係に関しても、
まだ完全に意味や価値が見出せていないけど、
そこには意味も価値もあるかもしれないと見極めることに、努力を割いています。
極論を言えば、投げ出せないものなんてなくて、
【努力】はやっぱり大変なので、全部投げ出してゴロゴロゴロリーンと
毎日を過ごせれば楽チンなんですが、
仰る通り、【努力】する対象のない人生ってすごく不毛だよな、と120%納得します。
いま自分のやっていることの手を何度も止めて、
「兄ちゃんが叩いた」と泣く子供の目線に合わせて事情を聞くことって、
実際忙しい毎日の中でやってみると想像以上に【努力】と【忍耐】を要することですが、
そういう小さな小さな私の【努力】が、
小さな次男の命と存在に大きな意味と価値があるということを、
次男本人にも刷り込むことにもなるのだと、思います。
かと言って、無理な時は無理だけどもねー…デヘヘ
あなたの【努力】の矛先は、どこですか?
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。