おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
頑張ってね、かわいい子供服を探して集めましたっっ
そしてちょぼちょぼと、商品が並び始めました~。 ⇒Neutralサイト
いろんな国の子供服を見ていると、『男の子らしさ』や『女の子らしさ』の定義が、国によって微妙に違うことに気づきます。
大まかには似ているんですがね、日本は比較的、『子供っぽい』子供服が多いのかな、とは感じます。
欧米のほうが、『大人っぽさ』が色濃くなる年齢が低く想定されているような。
時代や、その国の微妙な価値観が、子供服にも反映されているんだな、と思います。
それが『固定観念』や『偏見』なのか、それはもう、極端なものを除いたら、あとは時代が判断することなんでしょうか。
『わんぱくでもいい、逞しく育って欲しい』
って、私は思っていました。
なんの違和感も、感じていませんでした。(←鈍感)
しかし言われてみると、この言い回しには『わんぱく崇拝』が含まれています。
そして『健康であること』と、『逞しい』ことは、同義ではありません。
『健康』は生物にとって重要なことですが、いまの人間界で生きていく上では、『逞しくあるべき』という価値観は、もはや固定観念ではないか、と思います。
だってこの『わんぱくでもいい、逞しく育って欲しい』
フレーズ自体は丸大食品のCMのコピーですが、
その大元のエッセンスはまたしてもアイツ。
戦争
『逞しく』の意味は、そっちだったんです。
特に男の子は、強く、文字通り強く、相手を倒し、征服することが、『正』とされていたんです。
そのため当時の『ももたろう』などのお話も、いまよりずっと攻撃的で、残虐な描写だったそうです。
「そのきびだんごをよこさないと、八つ裂きにしてくれるぞ!」でも足りないほどに、
「マジかよ」っていう犬やキジ、ももたろうでした。
そして将来お国のために戦う兵隊予備軍である男の子たちは、
『わんぱく』であることが奨励されました。
大人しい子が、『わんぱくな子』より、劣るとされていました。
でも正直いまの私の中にも、そんな『偏見』が残っていると実感しました。
うちの子たちはたまたま活発で、『わんぱく』の部類に入ると思いますが、
自分の子供をひいき目に見ることは置いておいたとしても、部屋遊びばかりする男の子を、
少し心配に思うような、そんな感覚が、私の中にも確かにあります。
でもよくよーく考えたら、
どっちでもいいんですよね、健康でさえあれば。
その子が好きにしたらいーじゃん。
この話を読んだのも、先日ご紹介したこの本です。
知らないだけで、ありとあらゆるところに、
戦争、儒教、キリスト教、仏教、などの影響がいまも残っているのだと、改めて知りました。
良いものは残り、時代の流れに沿って悪しき者が淘汰されるわけですが、
当然その流れって、驚くほどにゆっくりなんですよね。
草の根活動じゃないですが、
だからせめて私はもう、うちの子たちには恐竜やサメなど、
『強くて獰猛なもの』⇒『男の子だけが着てる服』
という意識を植え付けないようにしたいな、と思っています。
ピンクやハートマークなど、それも女の子だけのものではないということ。
彼らの『好き』が、大人の定義に惑わされないように。
こんな話をすると、
『男らしさ、や女らしさ、の良さ』について言われることがあるんですが、
弊害を伴い、抑圧にすら派生するカテゴリー分けに、
『意義』や『良さ』って本当にあるんでしょうか。
この前駅を歩いていたら若いカップルがいて、男性が頭に、フリフリの黒のカチューシャを着けていました。
例え息子がそれを着けたとしても、
好きならいいんじゃない?と心の底から思えるような、そんな親でありたいと思いました。
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