電車やバス車内でベビーカーは畳むべきなのか?

 

おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。

ずっと昔、まだ結婚もする前、クライアント先への移動中、同僚と地下鉄に乗っていました。

全員独身の30代だったと記憶しています。

電車内に、ベビーカーで赤ちゃんを連れた方がいて、赤ちゃんが少し泣いていました。

 

全員そこまで気にすることはありませんでしたが、同僚のひとりの男性が言いました。

 

「俺さ、電車でもバスでも、赤ちゃんが泣くのはぜんぜん気にならないんだけど、

ベビーカーは畳むべきでしょ。」

 

当時私は子供を持つということも、子供と電車やバスに乗ることも未経験だったので、

「そおなの?」

みたいな心無い返答だけした気がします。

 

でもなぜか、その会話をいまでも鮮明に覚えています。

 

いま?電車内でベビーカー畳むか?

 

畳みません。

 

混んだ電車に子供と乗る機会も少ないですが、混んでる電車こそ、ベビーカーに乗せていないと子供が危ないですし。

 

子供×2+荷物+ベビーカー

これを大人の手2本、または4本で持つのは『かなり大変』な場合が多いです。

 

しかしですね、当のママから、こういう声もよく聞くんですよ。

 

「人に迷惑をかけるのはよくないから、やっぱりベビーカーは畳んで、子供はおんぶして乗ります。」

 

子持ち(少数派)の『かなり大変』<大多数の人に『迷惑』をかけてはいけない

3人目 欲しい

ある時街を歩いていたら、着物屋さんがありました。

そのお店の店頭には大きな電子看板があって、振袖を着た若い女性の写真と、こんなコピー

 

『人様に愛される女性であるように・・・』

若い女性の振袖=成人式=親、または祖父母が二十歳になる娘に振袖を買ってあげる

こんなストーリーなのでしょう。

 

日本では、『人様』という名前の『神様』を信仰している(いた?)という記事を以前書きました。

 

今日の話には、前提がいくつかあります。

(1)儒教(人様の出どころのひとつ)は、権力者が民を統治するために作られた思想であるということ。

(人として無条件に素晴らしい思想もあります。)

統治しやすい民にするために特定の思想を浸透させたかった、という思惑あったということ。

『置かれた場所で咲きなさい』は、どんな国でも、どんな政治でも、どんな情勢でも文句を言わない国民にしたかった権力者が作った思想であるということ。

 

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(2)公共のもの、ありとあらゆる人造のものは、『大多数=7割の人』向けに作られているということ。

この7割の人は、いまだと、健康な、その国で生まれた、男性、です。

外国の人、何かしら体や心がほかの大多数の人と違う人、左利きの人、子供、子供を持つ女性も、この7割には含まれません。

 

(2)すべての『Disable』は、固体に帰属する特徴ではなく、あくまで環境との相互作用の中にあるということ。

これね、こう聞くと「あ?わっかんね・・・」って思うんですが、

世の中の7割の人が目が見えなくて、3割の人しか目が見えなかったら、

それは『Disable』ではありませんよね。

だってその場合『環境』が、目は見えない前提で作られているはずですから。

 

いま、『目が見えないこと』や『視力が弱いこと』は『Disable=なにかできないことがある/不便がある』状態だとされています。

しかしそうさせているのは、『環境』なんです。

『目が見えないこと』=『Disable』ではないんです。

 

『足が不自由で階段が昇れないこと』=『Diable』ではありません。

大多数の階段を上り下りできる人を基準に作られている環境が、それを『Disable』たらしめているんです。

 

『Disable』はその固体の特徴ではなく、環境との相互作用の中に存在するんです。

いまの世の中には、

大多数の人と違う要素を持っていること=『Disable』だと思っている人が多いということ。

(私もそうでした。)

 

大多数の人が『人様』であるという思想の元、

『人様』に迷惑をかけないことが『美徳』であると思っている人も多いということ。

(私もそうでした!)

 

少数派になって、『Disable』を抱えて、初めてそのことに気づくのでは、遅いのかもしれません。

 

少数の人のために、大多数の人が不便を”被る”こと、

大多数の人が払った税金が使われること、

それの意味が分からない、という人がいた場合それは、

とても『運の良い人』なのだと思います。

 

どんな不便も、『なんか嫌だな』と思ったことも、

『仕方ない』『大したことない』『みんな我慢してる』で済ませることができるって、

それくらい強い心と体と、サポート環境を持っているということなので、

それはやっぱりとても『運が良い』ことなのだと思います。

この記事を『なんか小難しい話』『俺だって私だって頑張ってる!』と読み飛ばせる人は、おそらくとても『運の良い人』です。

 

いつか、『もう頑張れないかもぉ・・・』と思った時に、こんな話もあったと思いだしてくれたらと思います。

 

昨今ではそこまで『運が良い人』も少数派になってきたので、

ダイバーシティという言葉が生まれる方向に、時代が流れているのだと思います。

 

この理論に気づいた人たちの力もあり、駅にはエレベーターが標準装備されつつあり、外国語の表示も増え、点字や音声案内も作られつつあります。

いままで『障がい』と括られてきたわかりやすい状態の少数派の方々への対応が、

主にインフラ側で少しずつ進んでいますが、

わかりにくいもの、もっともっと少数のもの、そしてこれまで『不便』だと認識されていなかったもの、

そんなものまでカバーしていくためには、

インフラだけではなく、

 

大多数の人の心に、最新の情報と知識を。

 

 

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