おはようございます。みゆきです。
9歳と7歳の息子ふたりを育てています。
要は親の【成功体験】ですよね。
私は読書でいろんな成功体験を積んでいるので
子供にも読書を勧めたいし、
夫はゲームで成功体験を積んでいるのでね。
そう、とうとうヤツが我が家にやってきました。
避けては通れない、ゲーム。
子供が大きくなるにつれ、
いろんなところで触れてきて、
『欲しい欲しい』とねだられ、
最終的には夫が待ちきれなくなってフライング気味に購入。
ゲーム機自体は子供たちがお金を出し合って、
ソフトは夫が買っていました。
土日だけ、時間制限ありで夫と子供たちで遊んでいます。
楽しそうなのは大いに結構なのですが、
やっぱり私はゲームが嫌いです。
その理由、今まで何度も説明を試みてきましたが、
切羽詰まって『これぞ』を言う説明が見つかりました。
ゲーマーの夫も『なるほど』と納得した、
私がゲームを嫌う理由です。
ゲーム好きな方、ごめんね。
でもやっぱり嫌いなのです。
例えば長男、
料理が好きです。
食べ物全般が好きで、愛読書はレシピ本です。
キッチンに立ちたがります。
私は頼んでないのに、
朝食もできるところまで毎朝やっておいてくれます。
そんな料理すら、ゲームには負けるんです。
でもゲームが勝つのは、
長男が料理よりゲームが好きだからじゃないんです。
ゲームはスイッチを入れればすぐにできるし、
座ったままできるし、
面倒な準備も、片付けもない。
料理に比べたら『楽しむ』までのハードルが低いんです。
その上、脳の機能やホルモンを利用した
誰でも夢中になって中毒になるための仕組みを使っています。
こんなにゲームが嫌いな私ですら夢中になれるのが
ゲームという仕組みです。
例えば長男が、本当にゲームが好きで心酔するなら良いかもしれません。
でも、『本当に好きかどうか』それを考える隙すら与えない、
『本当はいまは料理がしたいかな?』と考えることを止めさせるのが、
ゲームの力です。
私はそれを子供たちにこう説明しました。
『悪魔の力』
折り紙大好きな次男が、
それまで折り紙に使っていた時間をゲームに使っています。
何かをする時間というのは、
『ほかの何かをしない時間』でもあるんです。
全てはトレードオフです。
本当に好きで、納得して時間を使うなら問題ないのですが、
ゲームは本当に好きじゃなくても膨大な時間を使える仕組みです。
しなくてもいいのにしていること。
その中にこそ『その人』がいる。
どこかで読んだのですが、本当にそうだと思うんです。
『暇だな~』
と思った時にふとやっていること。
心が趣くこと。
そこにその人の趣味があり個性があり、その人がいるんです。
そんな時間を奪っていくのがゲームだと
私は思います。
「でも俺、さんざんゲームしてきて
いま大丈夫だし。」
そう言うゲーマー夫。
確かに夫は『大丈夫』です。
人並みの人格をもし、仕事を持ち、家族もいて、
良いパパで良い夫です。
でもそんな夫も、ゲームがなかったら
もしかしたらもっとたくさんの趣味があったかもしれません。
釣り
山登り
料理
カメラ
釣りや山登りがゲームより優れた趣味だと言っているのではなくて、
『本当に好きかどうか』
それを考えることをさせないままに時間を奪っていくことが
問題だと思っています。
時間を奪い、
夫から別の趣味の可能性を奪ったんです。
考える隙を与えずに。
本当なら夫は、別の場所にいたかもしれないのに。
「なるほど、確かにそうか・・・」
私の説明に納得した夫。
子供たちがこれまでの土日にしていたこと、
児童館へ行って友達と遊ぶ
公園で遊ぶ
その時間はそのままにして
いままでテレビを見ていたような時間をゲームに使うと
子供たちに話してくれました。
結果いまのところ、
要はテレビやアマプラを見ていた時間が
ゲームの時間に置き換わった形です。
ゲームで救われた子供もいるだろうし、
ゲームで本当に楽しい体験をするときもあると思うし、
そもそももはや避けては通れないので
共存していくしかありませんが、
やっぱり私はゲームが嫌いです。
↓のバナーをクリックいただけるとブログランキングのポイントが入ります。
更新の励みにさせていただきます。
いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。