ずっと『あっち側』にいたら今頃私はどうなっていたかな。

 

おはようございます。みゆきです。

8歳と6歳の息子ふたりを育てています。

 

子供たちが育ってきて、

やっとやっとでなんかひと段落感があります。

今年から次男も小学生で保育園児がいなくなり

送り迎えもなくなり。

 

なんて言っていたら、

同学年の子供がいるママ友に言われました。

 

「いいなー、うちはまだまだそんな感じじゃないな。」

 

 

そう、そうだった。

 

〇歳になったからラクになる、とかではない部分も、

大いにあるのが子供なのでした。

 

 

3姉妹を絞殺してしまった27歳の女性のことを、

やっぱり考えてしまうのです。

 

ワンオペで3人て、いやもう・・・あーた・・・

どんだけ大変でどんだけストレスフルな毎日だったか、

想像もできません。

 

私なんてふたりワンオペが続いただけで数日で音を上げました。

 

『明日は我が身』だと同情するママたちの声と、

『そう思うなら最初から産むな』という声と。

 

 

いや、うーん・・・

でも、私も数年前までは『そっち側』にいたよなと、

改めて思いました。

 

子供を産み育てる大変さはよく言われていて、

その上で調べることもできるはず。

調べた上で産むのか産まないのか、何人産むのか、

ちゃんと考えて産みなさいよと。

 

この一見ごもっともな意見について。

 

 

こう言う人には何を言っても無駄なのですが、

見えていないものがあるのですよね。

この世には、調べてもわからない、

想像もできない大変さ、理不尽さ、

予想できない不運、

どうしても立ち上がれない時、

そんなこと、そんな状況があるということ。

 

私が8歳と6歳で『ひと段落』と感じるのは、

もういろんな要素においての運が良かったに過ぎないわけです。

子供が健康で、発達度合いが平均的で、

自分も夫も健康で、必要十分に仲が良く、

育った環境に恵まれ、人の縁に恵まれ、

その他もろもろのいろんな要素において

私は運が良いのです。

 

その大変度合いを調べても、どこまで準備しても、

100%万全な状態なんてあり得なくて、

そんなことを言ったら子供なんてひとりたりとも産めません。

というかそもそも、

こうして今の状態で生きていることすら幸運なわけです。

 

生きることのリスクにすべて備えるなんて無理で、

そういう話なんです。

 

 

でも確かに私も、数年前までそう思っていました。

 

大変なことはわかってる。

だから私は準備もしているし、私なら子育て乗り切れる。

そう思っていました。

 

そうしてまんまと、ありとあらゆる『想像以上』に打ちのめされ、

『あっち側』から『こっち側』へ移り住んだわけです。

 

『あっち側』はおそらく、いわゆる『強者の世界』。

そして『こっち側』は『社会的弱者の世界』。

 

強者のままでいると見えないものが多いと今は思うけど、

強者のままでいれば強いままでいられて、

見えていない分

『自分は正しくはないかもしれないけど間違えてはいないはず』

そう思っていられたわけです。

 

私は今の人生をすこぶる気に入っているので

今のままでいいですが、

強者のままでいる人生も、それはそれでいいのかもしれないなとも思います。

少なくとも自分だけは。

 

 

強者にも悩みはあることは知っています。

でもいつだって、社会的理不尽からの逃げ道があります。

私よりももっともっと弱い立場にいる人がいるということ、

それが私の想像以上であることもわかります。

私にはわからないことが想像以上に多いということがわかります。

 

 

でもやっぱり、社会の大多数が強者のままでは、

どうしたって生まれてしまう社会的弱者を救う仕組みを作りことは

難しいんじゃないだろうか。

 

夫とかはよく言うんですよ。

 

「殺しちゃダメだよ。

当たり前だけど殺しちゃダメじゃん。

助けを求める先はいくらでもあるのに。」

 

そんなことはわかっているけど、

それでも助けを求めることすらできない人、時、状況があるということ、

わかる人と、わからない人。

 

わからない人に、そんな人を助ける仕組みはやっぱり作れないわけで。

 

 

姉に聞いたんですが、

アメリカの大学ではこんな授業があるそうです。

 

「あなたはパーティに招待されました。

躊躇なくパートナーを連れてパーティへ行けますか?」

 

 

例えば白人の男の子が白人の女の子とデートしていれば、

オーイエー!って感じでしょう。

 

でも、あなたがレズビアンなら?

有色人種なら?

自分やパートナーに何かしらの障がいがあったら?

パートナーと呼べる人がいなかったら?

 

それを話し合うことで、

いろんな立場の人の視点に思い当たる、

という教育プログラムだとか。

 

そういう視点の問題なんですよね。

 

『言われてみればそうか。

そういう人もいるんだ。』

 

そんな『弱い立場とされている人』の視点を知る機会を増やすだけでも、

少しは違うと思うんです。

だからそんな話、息子たちにはしていきたいな。

 

 

 

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