おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
自分の目を疑いました。
でもすぐに、『まだ、そんなもんなんだな』と思いました。
今回の参院選で、重度障がい者の候補者2名が、国会入りしました。
それに対して、
『ひとりで移動することもできない人が国会なんかへ行って仕事ができるのか。
それは迷惑をかけるだけなんじゃないか。』
と言う人がいて、
『そのとおり』と賛同する人が、たくさんいました。
なるほど、と。
『女なんか国会にいたって迷惑なだけじゃないか。』
と公に発言する人は、もうほぼ見ません。
それは、たとえ思っている人がいたとしても、
『言ってはいけない』というメッセージを社会が発し始めたということです。
しかしまだ、障がい者に対しては、言える社会なんだなって。
夫が言いました。
「オレ、れいわも山本太郎も全然好きじゃないけど、
でも、この2人を国会入りさせたことは、かなり大きいことだよ。
歴史的だよ。すごいよ。変わるよ。」
ホント、心の底から同感でした。
電動車いすでしか移動できず、声を発することもできず、
常に介添え人を必要とする人が、
国会にいるということの意義。
国会がバリアフリーになるのは目に見えることですが、
それ以外にも大きな、大きな意味があると思います。
これまで日本はずっとずっと、
『健常者』と『障がい者』の生活を分けてきました。
学校には『障がい学級』があり、
会社では『障がい者枠』の雇用があり。
なぜ分けているかと言うと、
『健常者』のペースや都合を優先させるためです。
(そもそも何が『健常』なのか、ってのも『健常者』が定義したことです。)
既に社会にたくさん存在する『少数派』を、
福祉で『支える』と言いながら隔離して、
どんどん『多数派』の暮らしやすい社会に変えて、
『少数派』はいないものとしているような、
いまはそんな気がします。
私も時に『多数派』になり、
時に『少数派』になり、
知らないことがあり、偏見もあります。
姉はいわゆる、『障がい』を持つ学生をサポートする専門部署で働いているのですが、
『健常者』と『障がい者』を分けることによる弊害を、
いつも言っています。
日本にも、『障がい学級』を設けず、
みんな一緒のクラスで教える学校があるそうです。
(幼稚園だったかな・・・?うろ覚えです。)
そんな学校で育った子供は、
障がいを持つ子が運動会で転んでしまい立ち上がれなくなった時、
誰にも言われず数人が走り出て、
転んだ子を支えてゴールしたそうです。
そしてそれを、『褒められること』とは認識していないそうです。
いつもやっていることなので、普通のことだって。
できる人が、できる時に、できることをして社会を回して、
支え合って生きていくことは、本当はそんなに難しいことじゃないと、
思うんです。
だから、何はともあれ、やって欲しいんです。
もう何度も勧めているのでしつこいですよね。
でもね、投票日になるとTwitter上で、投票したか、というアンケートがよく上がっていて、
その結果を見ると、一般の投票率よりも、いつも高いんです。
まぁそのアンケートが正確かと言われるとよくわかりませんが、
とはいえやっぱり、ぼんやり眺めているだけでも選挙前は選挙の情報が流れてくるので、
何もしないよりはいいと思うんですよね。
少し前からぽにさん(@tomobatake)が本格参戦しているので、
Twitterを勧めやすくもなりました。
ぽにさんとは、ブログを通じて仲良くさせていただいていて、
たまにお会いしたり、一緒にワークショップなんかもやらせていただいたりして。
そんなぽにさんも、Twitterではブログとは少し違うし、
まずはぽにさんがフォローしてる人、ぽにさんをフォローしてる人、
あたりからフォローし始めて、少しずつ「いいね」したりしていると、
Twitterの使い方がわかってくると思います。
始め方は詳しくは↓の記事で書いていますので、もしよろしければ。
SNS苦手、という方もいらっしゃると思いますが、
そうでないなら、試しに少しでいいので、騙されたと思ってやってみてください。
フォロワーを増やす必要もないし、気の利いたことを言わなければいけないわけでもありません。
ニュースのキュレーションサイトのように、
情報を閲覧するだけでも、結構意味があると、私は思います。
少なくとも私は、Twitterのお陰で触れることができた知識や情報が、
これまでたくさんあったんですよ。
社会について知ることは、
お金を知るということでもあるので、お勧めなんです。
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更新の励みにさせていただきます。
いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。