【AERA Web版】こんなにかわいいのに「かわいい」って言うと怒るんですよね

 

おはようございます。みゆきです。

 

5歳次男、ぽちゃぽちゃでかわいいのです。

長男のときも5歳ってこんな感じだったかな~

わからないのですが、とにかくほっぺがぽちゃぽちゃで、

ふと見るとむちゃくちゃかわいい!

と感じます。

 

だから

 

「かわいい・・・」

 

と言うんですが、

そう言うともう怒るんです、5歳。

 

『かわいい』は女の子のための言葉じゃないのに。

確かに『可愛い』は、『弱い』というイメージも持つ言葉だと思います。

そしてだからこそ次男は、

強ぶり、怒るんです。

 

なぜって『男の子だから』なんだろうなと。

しっかりくっきり、刷り込まれて帰ってきてるんだなと。

 

 

昨年の保育園の発表会。

次男のクラスは『赤ずきんちゃん』をやりました。

 

大きくなった。かわいい。

それだけで良かったのに。

 

 

女の子は全員、赤いスカート&頭巾で赤ずきんちゃん。

男の子がオオカミ、木こり、おばあさん、など、

赤ずきんちゃん以外の役。

 

男の子/女の子で役を分け、

衣装を分け、

性別が何よりも先に支配する世界であるという刷り込み。

 

教育現場のダイバーシティ

なんとかして欲しいなと、思いました。

 

 

先日インタビューに応えさせていただいたAERAのWeb版がアップされました。

→こちら

 

 

「男の子だって弱くたっていい。」

「男の子も女の子も好きなようにすればいい。」

 

家庭でいくらそう言い聞かせても、

保育園でこんなことをされたらもう、

ピンクを黒で塗りつぶすくらいの力があると思います。

 

それくらいに、子供は親ではなく社会の言うことを聞く、

子供だけじゃなく人間は、そういう生き物だと思います。

 

次の年もそんな発表会だったら、

面倒だと思われても保育園に物申そうかな・・・

と思っていたら、

翌年はジェンダーニュートラルな内容と配役だったので

ひとまず安心。

 

でもトラップは、発表会以外にも世の中にたくさんあるのだと、

私もわかっています。

 

 

私自身が、赤ずきんちゃんの格好をすることに抵抗を感じる子供でした。

特に理由はありませんが、

子供心にそういうのは『私じゃない』と感じました。

かと言って別に、『男の子になりたい』とも思っていませんでした。

私は確かに女の子だけど、いまある、みんなが思う『女の子像』は、

私には合わないと、そう感じていました。

 

思春期までずっとなんとなくそれに抵抗していて、

でも大人になるにつれて少しずつ

その既存の型に自分が入るようにしてみると、

そこはぬるま湯のように心地よくて、

すごくラクだったと感じました。

 

ラクで、そして回りはチヤホヤしてくれて、

確かにそこは甘美で快適でした。

でもいつもどこか、窮屈な感じがつきまとっていて、

でも『そういうものなんだ』と、

『みんなそうなんだ。みんな窮屈で、それが普通のあるべき姿なんだ』と、

そう思い込むようにしてきました。

 

腕を上げたときだけ少しキツイと感じるような服を、

ずっと着ているような感じ。

腕さえ上げなければ、まぁ不快ではない。

みんなと同じ服だから安心できる。

でもふと動くと、そのキツさを毎回確認するような。

 

今の社会が作る、

男の子の型

女の子の型。

 

その型はもう古くて、

でも頑丈です。

 

 

 

粘土版の上に型を作るような社会ではなくて、

水の中を泳ぐような、

 

自由自在にそれぞれが形作れて、

常に形を変えられるような、

 

それでいて回りにいろんな大人が自由に泳いでいで、

その多様な中から自分のロールモデルを探せるような、

 

そんな社会なら、今より生きやすいのか。

子供たち自身が教えてくれることもたくさんあるだろうな。

 

かわいい。かわいいもんは、かわいいのだよ。

 

 

保育園児

思春期〜反抗期の悩み。

今日、どんな服着せてる?

 

↓をクリックいただけると、ブログランキングのポイントが入ります。

お忙しいところすみません。。

にほんブログ村 子育てブログ ワーキングマザー育児へ

いつも応援ありがとうございます。

自分以上に頼りになる人、いますか?

Twitterでフォローしよう

RECOMMEND