おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
5歳と3歳の息子ふたりを育てながら、共働きのお金、子育て、仕事などについて書いています。
最初に『ワーキングマザー3.0(TM)』会員の皆様へご連絡です。
メールマガジンのバックナンバーvol.16-18を『会員専用ページ』へアップいたしました。
PWが不明の方はメールでお問い合わせください。
とうとう、赤信号を見落としたそうです。
「そろそろだよね。」
とちょうど、姉と母と話していた矢先でした。
父は今、76歳。
一度脳梗塞で倒れて以来、少し体に麻痺が残りました。
身の回りのことは自分でできるものの、やはり動きが遅くなり、
老いるスピードが早くなりました。
横浜の家を売り、茨城に引っ越して、車がないと不便な生活でした。
そして私よりも頻繁に両親の家に行ってくれている姉がとうとう、
父の軽自動車のキーを持って、東京に帰ってきました。
少しずつ認知症の症状も出ており、それを本人もわかっています。
『車の運転はしない。』
と本人が一度納得しても、
それを忘れてしまう恐れがあるので、
キー自体を取り上げることにしました。
それに父本人も納得したそうです。
ずっと昔、確か私が高校生の時だったか。
父とふたりで、お寿司を食べに行きました。
その帰りの電車の中で話した、ような記憶があるのですが。
「お父さん、なんでもできるとしたら、何がしたい?」
無邪気な質問でした。
父(当時50代)はこう答えました。
「小学校からのお友達だった、Tさんを、助けたいな。」
Tさんのことは、私も知っていました。
それよりも少し前、私が中学生のころ、たまに家に泊まりに来ていました。
詳しくは知りませんが、なにかの借金を背負ってしまい、
離婚して家もなくしてしまったと。
路上で生活していたのか、どこかの施設にいたのか、
そんなところも知りませんが、たまに訪ねてきたTさんは、
うちでお風呂に入り、母の作ったご飯を父と一緒に食べて、泊まって、次の朝帰って行きました。
「Tさん助けるのはやっぱり、大変なのかな・・・」
「大変だよぉぉ…ひとり養うって…しかも大人をね。すごく大変だよ。
お父さんには、できなかったね。」
幼馴染というやつだったようで、
Tさんが普通に暮らしていたころ、
家族で遊びに行った記憶もあります。
それ以来もう、Tさんの話を父の口から聞くことはなくなりました。
Tさんが泊まりに来たのも、数回でした。
『複雑な事情』
人のそれが、私には計り知れないものなのだということを、
私は子供を持って初めて実感できました。
人や世の中が、『複雑なもの』なのだと、やっと受け入れることができました。
そして同時に、
『複雑なもの』の先に、
『単純なもの』があることもあるのだということも、
受け入れ始めました。
複雑なものの手前にある単純なものは手に入れるに値しないが、
複雑なものの向こう側にある単純なものは、どんな対価を払っても手に入れたい。
本を読んでいて、
目に留まったフレーズがあるとメモを取っておくんですがね、
このフレーズが誰が言ったことなのか、
どの本に書いてあったことなのか、
それを書き留めていなくて、覚えてもいなくて、
うーん・・・
としばらく考えたのですがどうしても思い出せません。
このフレーズが書かれた本を電車で読んで、
地下鉄の門前仲町駅の構内で感動したこと、
だけは覚えているんですがね~
最近では、父がやることと言ったら趣味の畑いじり。
その足でもあった車がなくなり、
家の前の庭、歩いて通える距離の畑と、
行動範囲が狭くなり、また老いが加速するとは思いますが、
車の運転はさすがに被害者を出してしまっては取り返しがつかないので、
仕方ないです。
今週末には、姉がうちの長男を連れて、
両親の家に泊まりに行ってくれます。
長男にとっても、生まれて初めて、ママとパパと離れて外泊。
本人はワクワクしております。
体から溢れ出してしまう若いエネルギーを、
じーちゃん、ばーちゃんにしこたま浴びせてきてください。
いやむしろ、吸い取って(疲れさせて)帰ってくるのか。
老いる人と、命を迸らせる人。
その中間にいる私。
↓のバナーをクリックいただけるとブログランキングのポイントが入ります。
応援クリックいただけると喜びます。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。