おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
息子ふたりを育てながら共働きをしています。
Twitterで見かけた、こんなママの呟き。
会社の上司(男性・専業主婦の妻あり)に、
「子供に総菜とか冷凍食品あげてるの?
子供に手作りご飯食べさせたくないの?」
と言われてモヤる。
うん、モヤるね~(汗)
しかし考えてみてください。
自分の心(脳)に問いかけてみてください。
お惣菜や冷凍食品をあげることで、子供の栄養が極度に偏るのか、
と言われたら必ずしもそうではないですよね。
揚げ物が多めにならないように気を付けたりすることもできます。
焼き魚とほうれん草のおひたしをスーパーのお惣菜で買って、
『さとうのご飯』をチンして、インスタントのお味噌汁を付けて子供に出したところで、
塩分は多少気になるものの、そこまで健康に悪い食事とは言い切れません。
『栄養』という意味で言えば、
冷凍食品技術は進歩していて、冷凍野菜などの栄養価は
生の野菜と遜色ない、なんてことも聞いたことがあります。
でも心のどこかで、毎日丁寧な手作りご飯を食べさせてあげられたら、
安心しませんか?
『私、大丈夫』『子供、大丈夫』
となんとなく感じませんか?
私は感じます。
私は栄養学の専門家ではないので、
お惣菜や冷凍食品の真価を訴求したいわけではないのです。
そして私はご存知の通り『料理が嫌い之介』ですので、
毎日手作りなんてしません。
先日、
成人した日本人の3割は日本語がちゃんと読めない。
という調査結果について書きました。
その流れで、こんなことも書かれていました。
言語理解能力の低い人、
言葉や文章を理解する労力を惜しむ人は、
保守的になる。
私が『手作り料理』に無条件に安心を感じるのは、
それが安心・安全であり、そういうものだ、という刷り込みのためです。
お母さんは毎日、家族に手作り料理を食べさせるべし。
という『慣習=みんながこれまでやってること』があるから、
私はそう感じるわけです。
『今と同じ』を維持するとき人は、何も考えずに済みます。
何も考えなくても、安心します。
今と違うこと、
新しい価値観を受け入れ、実践しようとするとき、
人は『言葉』や『理由』『理論』を必要とします。
でもそれは、ある種、ちょっと疲れることだったりします。
『言葉』や『文章』、『理論』を理解するという労力を惜しむと人は、
『今と同じ』を基準にします。
『今と同じ』が必ずしも悪いわけではないですし、
なんでもかんでも変わればいいってもんでもないので、
『新しい』=『良い』ではありません。
『毎日手作り料理』⇒『たまには(ほぼ)お惣菜や冷凍食品』
に変わるための『理論』を、
怠けたいがための『言い訳』ではないか、
と問いかける自分もいます。
ご飯については、社会的価値観とは別に、個人的な価値観もあるわけで、
それはもうそれぞれが好きにすればいいと思うのですが、
国によっては外食がデフォルトのところもあります。
「日本の『食育』ってよくわからない。
日本は本当に『食』に対するこだわりが強い。
アメリカにはそういう価値観はない。」
とアメリカの方が言っていたのも聞いたことがあります。
本にしろ、記事にしろ、動画や音声であっても、
言葉や文章を理解する能力と労力が、
考え方をも左右するのだな、と少し、目からウロコ的なものが。あっ・・・落ちた。
『Neophobia-ネオフォビア(新しいものが怖い)-』的なものが、
『言語』と関係している、と読んでまた、
なるほど~・・・と。
言葉を巧みに扱い、情報を生産するプロにまでなる必要はありませんが、
息子たちが少なくとも『理解』はできるように、
やっぱり本を身近なところに置いておくしかないんだろうか。
せっせと読み聞かせを頑張ります。
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。