おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
先にどーでもいい話していいですか?
水玉ラバーなんです、私。
たまに疲れると、AmazonとかZOZOとかGoogleとかで『水玉』と検索して癒されています。
単純にカワイイ。草間彌生も好きです。
もっと上手を行く水玉仲間もいます。
でね、自分の靴下が穴が開いちゃって、また無印なのか?と思って検索して見つけて、こんなかわいい靴下を履いています。もうすぐ41歳だけど。ダメですか?
ジーンズをサッ!とめくって、
「ワン!」と子供にやるとウケます。
↑コレww(5足で¥1,099!1足おねーちゃんにあげました)
そうそう今日は、【ワンオペ】の話です。
そもそもは、牛丼屋さんなどで夜間従業員ひとりでお店を回しているというブラックな状況が取りざたされて、ワンオペという言葉が一般的に使われるようになりました。
いま我らの回りで使われるワンオペは、ご承知の通り、子供の世話&家事をひとりで担うことを指します。
私の回りにもたくさんいます。
「うち、基本ワンオペだから」
そして今日は、このワンオペが夫に対する憤り、単純にしんどい、そういう話以上の物であることを、書いてみたいと思っています。
例えば独身時代のひとり暮らしの時、仕事をしていましたよね。
夜仕事を終えて帰ってくると、疲れています。体力を消耗しています。
そして人間は、寝ないと体力が回復しないので寝ます。
しかし、寝るためにはまず、寝れる程度に清潔なベッド、布団が必要ですね。
ベッドや布団のある部屋も、それなりに清潔で片付いていないと寝れません。
そして、寝るだけでは体力は回復しません。
そうです、食べないといけません。
外食なり、自炊なりして、ご飯を食べますね。
まだあります。次の日に着ていく服、働くためには清潔な服や靴が必要です。
必要に応じてメンテナンスもしないといけません。
新しい靴下を買うという行為も必要です。
お風呂に入って体を清潔に保つ必要もあります。
お風呂は、清潔なお風呂、そしてお風呂用品がそろっていないと入れません。
朝にコーヒーを飲む。テレビを見てストレス解消をする。
可愛い子供の寝顔を見て気力を取り戻す。
手順は人それぞれですが、そうやって初めて、体力と気力を回復して、次の日にまた仕事に行けるわけです。
このサイクル、名前があります。
【労働力の再生産】
1日単位で、1週間単位で、労働者は労働力を再生産しながら、日々働いています。
再生産なくして、労働は生まれません。
ひとり暮らしの場合、これをひとりで担っているか、一部外注(外食など)している状態です。
人それぞれ、担えるだけの労働と、再生産できる量があります。
そのバランスが崩れると、仕事に支障が出たり、再生産(生活)に支障が出たりします。
もうわかりましたかね。
ワンオペは、自分の労働力の再生産プラス、夫の労働力の再生産までも担っているという、完全なるオーバーワークです。
戦後の代表的な、会社員と専業主婦という家庭は、夫が24時間働くために、妻が労働力の再生産部分を100%肩代わりしていたスタイルです。
しかしそこには前提があって、『子育てや家事は労働ではない』ということです。
妻側の労働力の再生産のサイクルはないものとされていました。
例えば共働きで、夫は毎日深夜まで働いていたとします。
そんな状態では誰だって、自分で自分の労働力を再生産することは難しいです。
そうなると、清潔な家を保つこと、気力を与えてくれるかわいい子供を育てること、ご飯を作ることは、妻に担ってもらう、もしくは外注するしかありません。
一方妻も、フルタイムで働いているとします。
自分の労働力も再生産しながら、夫の再生産サイクルも担います。ふたり分ね。
いまこの状態でも、『子育ては労働ではない』という前提です。
ひとりの労働力と再生産能力には、限りがあります。
子育てが労働か否かは置いておいたとしても、外注を使ってもそれでも妻の上限を溢れたとき、
子育てや生活を捨てられる人がいますか?
するとどうなるかというと、妻が自分の労働力を再生産できる量が減ってきます。
そうやって、妻の労働(仕事)が少しずつ押しやられていく、という仕組みです。
悲しいんです、単純に。
働きたいという気持ちがあり、能力もあり、賢い女性(男性)たちが、二者択一を迫られて仕事を一部、全部捨てざるを得ないという状況が。
妻(夫)にワンオペを強いている夫(妻)、そして会社や、社会が、その仕組みも、その存在すら知りもせずに、その恩恵を受けていることが。
(私は再生産部分を担いたい!という人はそれで良いんです。その自由も尊重されるべきです)
私は強欲なので、全部捨てないつもりです。わははは…
とはいえ当然、私のエネルギーも有限なので、外注を使い、仕組みを土台から作り替えることで、それを実現しようとしている次第です、ハイ。
恩恵は、受けている側からは見えないものです。
見えないものは、見えない人にとっては、ないものです。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。