もういただいてから結構経っていますが、まだまだ遊んでいます、コレ。
最近はほかのオモチャとの組み合わせで遊んでいます。
この日はつい最近100均で買ったカブトムシ(ゼンマイのオモチャ)の家を作っているそうです。
今日の話はちょっと暗いです…
この前の週末、じゃぶじゃぶ池に早めに行って帰ってきてから、
夫がリビングで寝始めました。
頭痛がするとのこと。
じゃれつく子供たちを払いのけて寝ています。
しばらくして、寝室へ行って寝てしまいました。
頭が痛いのは、確かにかわいそうです。
しかし彼は知りません。
平日の夜、彼が帰宅するまではひとりで子供らの面倒を見ている私は、
頭が痛ければ鎮痛剤を黙って飲み、
風邪っぽければ風邪薬を黙って飲み、
やらなければならないことをこなしています。
それが週末であっても、「痛いな」と思ったら薬を飲みます。
薬を飲まずに寝る、という選択肢が、私の中には無いのです。
その週末の、彼の頭痛1回のことを言っているのではないんです。
そして彼の、そんな姿勢を糾弾したいわけでもないんです。
考えたいのは、私は、私たちは、無理をすることに慣れすぎているのではないか、
自分が無理をしているから、相手(夫)にも同じくらい無理をすることを求めているだけなのではないか、ということ。
「助けて」と言うことを、必要以上に面倒に思っているのではないか、ということ。
確かに面倒なんです。
自分でやったほうが早いし、例えば夫に、
『私の体調が悪いから早く帰ってきて欲しい』
と連絡したところで、早く帰ってきてくれる可能性は低いし、
帰ってきて欲しい理由を説明するのも面倒だし、
帰ってきてくれたとしても文句を言われたり、借りを作ってしまうし、
なんて考えてしまって、結局自分がちょっと無理をするほうが簡単で早い、と考えてしまいます。
でも、相手(夫)はその面倒をものともせず、こちらに頼ることを選ぶことがあります。
それが悪いと言っているんではないんです。
うーん…うまく言えないな。
何が言いたいかと言うと、きっと私は、私たちは、
夫が私たちに面倒をかけるのと同じくらい、
夫に面倒をかけていくべきなんじゃないか、ということなんです。
あまり無理をしても、いいことないんじゃないかな、と。
確かに、夫に何かをやってもらうとなると、その質ややり方には目をつぶらなきゃいけないし、
【頼む】行為自体が面倒だったりもするんですが、
めげずにこまめに何度も何度も繰り返し依頼を続けると、
気づくと夫がそれを自然にやってくれるようになって、結果自分は少し楽になる、
そんなこともあるんだよな、と思ったんです。
例えば簡単なことですが、週末に、ベランダに干してある洗濯物を夕方に室内にしまう、という行為。
以前の私は、夫に頼んで文句を言われたりして、めげていました。
文句を言われる時点で『違うだろ』と思うし、その腹立たしい気持ちを想像するだけでゲンナリするので、
なら最初から自分でやってしまおうと、ベランダと奥の部屋をひとりで往復していました。
しかし、
『それではイカン!いつまでたっても私が大変なだけじゃん!』
と気を取り直し、何度も何度も繰り返し夫に頼みました。
「洗濯ものを、しまって欲しい」
最初は文句を言いながら。
「いまじゃなくてもいいんじゃない?」とか。
数か月後、ここ最近になって、私が何も言わなくても、彼は黙々と洗濯物をしまい始めます。
例えばこの夫の頭痛の日も、
やっと薬を飲んで少し復活した彼に、
「寝るついでに子供たちの寝かしつけお願い」
と頼んだら、すんなり。
数年前の彼なら、そんなお願い受け付けてくれなかった。
そんな印象でいたのだと思います。
だましだましの共働きの日々も、一緒に走ってくれる人がいるだけで心強いもの。
なんなら相手の手をグイッと引っ張って、隣を走らせるくらいでも、いいのかな、と。
↓のバナーをクリックいただけるとブログランキングのポイントが入ります。
応援クリックいただけると喜びます。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。