
おはようございます。みゆきです。
12歳と10歳の息子ふたりを育てています。
どれくらいの頻度で、親に会いますか?
結婚して子供が生まれてしまうと、
こちらも忙しいし、
近くに住んでいるまらまだしも、
家が遠いとなると、
なかなか会う機会も少なくなりますよね。
とはいえやっぱり、年に数回は会うし、
電話でも話すし、
赤ちゃんが生まれた時には手伝いに来てもらったし、
まあ、うちは普通です、多分。
コロナで浮き彫りにされたような、
2つの社会的事象。
『自然派・反ワクチン』
『フェイクニュース・炎上』
実際にこれらの事象が自分事である人たちの、
それぞれの日々。
特に壮大な展開があるわけでもないのに、
それでもこんな長い本を、
ずっと読み続けたくなるように書けるのは、
やっぱりすごいよな、角田さん。
角田さんの書く登場人物は、
いつもどこか焦りと疲労を抱えていることが多いように感じるので、
読んでいて疲れることがあるけど、
それでも読み進めたくなるのですぐに読み切りました。
この本自体はおもしろかったです。
いやしかし、やはり私も子供のいる親なので、
大人になった子供が音信不通になったり、
縁遠くなったりする様を書かれると、
なんとも考えさせられます。
『私は大丈夫』
なんて胸を張れる親は、そんなにいないんじゃないかな。
子供はいつだって予想外の予想以上だし、
子育ては、正解のない迷路をずっと前に進むしかない、という感じだし。
『良かれと思って』ということはどの親にもあるはず。
要は『やりすぎ』がダメなのかな。
例えば私、
性犯罪を性犯罪として描かないコンテンツは、
見つけ次第ブロックしています。
アニメによくあるでしょ。
主人公がいきなり女の子の胸を鷲掴みにして
ガハハと笑って済ませ、
女の子も顔を赤らめて怒るだけで終わるやつ。
Netflixでは、子供が視聴するアカウントで、
特定のコンテンツをブロックできるので、
こんなの即ブロックです。
逆にそろそろ長男なんかは、
漫画の中で、性的なシーンが出てくるものは読んでいます。
でもそれは、単に男女が合意して性行為を行う展開だったりするわけです。
『当然のもの』として描かれているものを
小さいころから繰り返し見聞きすることで、
その概念は刷り込まれると私は思っていて、
大人になって触れる分には、
それをフィクションとちゃんと捉えられるのではないかと。
でもこの私の対策が、間違えていたら?
成人男性になった息子たちが、
将来これを不満に思ったり、非難したりする可能性はゼロではないわけで。
わからんけども。
良かれと思って何かをしたりしなかったりする親に、
それを非難したい子供の気持ちは、
理解できないものなのか。
私が信じていることはなんなの
正解がないからこそ私たちは、
何を信じるかを都度選択しているわけで、
その選択には、いろんな可能性を孕んでいるのですよね。
正解っぽいことも、時代とともに移り変わるし。
いずれにしても、
成人した息子たちが、
年に数回は顔を見せに来てくれるといいな。
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