おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
GW中、両親の予定が合い、帰省することができました。
しばらく体調が悪くなかなか会えず、久しぶりに会うじーちゃん、ばーちゃんに子供たちは興奮していました。
みんなで遊ぶ中、ばーちゃんが次男にこう声を掛けました。
「ホラ、お兄ちゃんにやってもらいな。」
次男キョトーン・・・
我が家は『お兄ちゃん』と呼ばせていないので、
次男は『お兄ちゃん』と言われても長男のことだとは思わないんです。
我が家で使う『お兄ちゃん』は、『大きくなった』の意です。
「もう〇組さんのお兄ちゃんなんだから、ひとりでやってみよう。」
など。
ばーちゃんにも説明しました。
長男に、『お兄ちゃん』の呪いをかけたくないからだと。
ばーちゃんはそれこそキョトーン・・・という感じでしたが、まぁそこは別に、母も理解はできなくとも私のやり方を尊重してくれます。
お兄ちゃんだから我慢する
お兄ちゃんだからやってあげる
弟だから甘え上手
そんな『概念』が、もはやアニメやテレビ、本の中に溢れているので、
『お兄ちゃん』という呼称ごと排除しないと、どうしたって家の中に入ってきてしまう気がして。
これも別に、私が思うだけであって、ほかの方がどうしようが、それぞれの自由ですし、否定もしません。
私はただ、
『兄弟、友達、みんなが、助け合う。そういうシンプルなこと。』
という『概念』を築きたいだけです。
そんな時に、既に『お兄ちゃん』や『長子』に張り付いてしまっている概念が、私には余計だと思っただけです。
こんな実験をしたそうです。
ある学校の、あるクラスの子たちに、
「このクラスはとても優秀です。ほかのクラスより優秀です。」
と吹き込んだそうです。
すると、当初の成績に差はなかったのに、そのクラスの成績は、本当にほかのクラスに比べて上がったそうです。
つまり、子供(人)は、ポジティブなレッテルに反応して、能力を伸ばすことができるのだということ。
同じ人が、同じことをしても、貼られているレッテルによって、結果に差が出ることがあるということ。
評価やレッテルから、完全に自由になることは難しいです。
人は何を見ても、カテゴリーに分けて理解、記憶しようとしてしまいますから。
それなら、貼ってしまうレッテルには、慎重になろうかな、という感じです。
優しい
強い
頭が良い
格好いい
いまはこんな言葉を、事あるごとに吹き込んでいます。
そして、なんでもカテゴリー分けして理解しようとする本能が、長男の中に湧いてきたようです。
車で、電車で少し出かけると、1日に20回くらいは、こう聞かれます。
「ここは、日本?」
日本を出るには飛行機か船が必要、と何度説明しても、
とにかくひたすら、
「ここも、日本?」
「そうだよ、日本だよ。日本の中の、いまは千葉、っていうところ。」
「ここは、日本?」
「そうだよ、日本。日本の中の、東京に住んでるんだよ。」
あとはこれ。
「ママは、いきもの?」
「そうね、ママはいきものだよ。」
「ママと魚は、仲間?」
「いきものというグループの中では、仲間だね。でも魚は哺乳類ではないから、仲間ではない、とも言えるよ。」
「カエルと象は?」
いやホント、5歳児の脳が、少しずつ発達してきていることがわかるので、面白いです。
でも、5歳児の質問に、5歳児が知っている言葉だけを使って答えるのって、難しいですね。
そこら辺を無視して、夫は難しい言葉も使って説明したりしていますが、どっちがいいのか。
ポットからあがる湯気を見て、
「あれはなに?」
と聞く5歳児に、
「水はね、熱すると沸騰して蒸発するの。わかる?蒸発。
蒸発して、水蒸気、湯気になるの。」
この難しいことをどうしたらいいのか、それを大人が寄り集まって考えて、
分業した結果が、『教育』なわけで、
次男も含めて、今後もどんどん、私たちを驚かせてくれるんでしょう。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。