おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
7歳と4歳の息子ふたりを育てています。
我ながらなんとも、かわいい子供たちです。
親である私と夫は、彼らのためにいろいろ犠牲にしながらも、
いろんな人の助けを借りて育てています。
こんな言説をTwitterで見かけましてね。
『母親が嫌々子育てしていたら、その子も将来子育てというものを
見下すことになるだろう。
子供が自立するまでたかだか15年、
子育てに誇りを持ち、
回りがなんと言おうとそこにやりがいを見出し、
その職務を全うすべきなのです。
仕事と子育ては同列に語れるものではない。
子育ては未来を創る素晴らしい職務であり、
それを押しつけられていると文句を言うのは
本質を見失っている。
女性を差別しているのは女性です。』
(※この議論が複数の男性間で繰り広げられていました。)
誰かがどこかでいつでも言っていることなので、
私はスルーしていたのですが、
もしや知らない方がいたら良くないな、と思って記事を書こうかなと。
『社会的概念』というものは、必ず発生源があります。
『24時間働き、会社に滅私奉公することが男の生き方としてカッコイイのである!』
これは戦後の高度成長という、類を見ない異様なまでの経済成長の時期、
どうしたって足りない労働力を補うために、
政治や企業が発生源となった社会的概念です。
その後、過労死などの事象からブラック企業という概念が生まれ、
ワークワイフバランス、という社会的概念が生まれ、
それぞれが変化しています。
とにかく長時間労働させたかった会社が
その思惑に沿った社会的概念を生みました。
じゃあ、『子育ては神聖な職務である。』
その社会的概念を生んだのは、いつ、誰だったのか。
子育ては、素晴らしい経験です。
子供ほど愛おしい存在はないし、
私も子供を産んで本当に良かったと思っています。
新しい命は確かに尊いし、それを間近で目撃できることは
とても幸運であり、幸せなことです。
しかし事実、そこには向き不向きがあり、
子育ての中に自己実現を見出せる人もいれば、
そうでない人もいます。
「見いだせ!」と言われても湧かないもんは湧かないのです。
自己実現は人間の根源的な欲求であると、
偉い心理学者さんたちは言います。
女性はこの神聖な職務である子育てにこそ、
自己実現を見出すべきなのであります。
そう唱えたのは、これも高度成長時代のおじさんでした。
『女子教育家』のおじさんでした。
女性は『イエ』の所有物であり、
戦争にも行けず、働き手としても男に劣っていた時代、
神聖な職務としての子育てが
女たちの役目なのだという社会的概念を説きました。
そして、それまで虐げられてきた女性たちがその概念に飛びつき、
それをバネに自己肯定感を持ち上げました。
最初にその概念を説いたおじさんは1938年に亡くなり、
時は流れ社会が流れ、いろいろ流れて、
いまはやはり、多様性?ですか?
どこに神が宿るか、それは人が決め、時代が決めることですかね。
子育てにやりがいを見出す人もいて、
貨幣社会に自分を見出す人もいて、
それはその人本人が決めることである、
それがきっと、今の主流の社会的概念、その方向性でしょうか。
少なくとも、性別や人種、出身地や言語、身体的特徴など、
本人の努力ではどうしようもないことと、
社会的役割を自動的に結びつけるということが、
『悪い』ことである、というのが方向性、でしょうか。
そして同時にもちろん、命が大事である、子供は宝であるというのも、
『正しい』概念なのだと思います。
そうなると我が家のように、
父親も母親もフルタイムで働き、
それそれが向き不向き、譲れるところ譲れないところで子育てを分担し、
社会サービスを利用しながら子供を育てる。
夫も私も、子育てに誇りを見出せるタイプではないものの、
それなりに真剣には捉え取り組んでいると思います。
子育てにやりがいを見出すママ、パパがいたら、
好きにしたらいいと思いますが、
「あなたも仕事ではなく子育てに全身全霊を傾けるべきだ!」
と言われたら、
「さようなら…」
と思います。
と、こんなことを私がここに書くことも、
時代であり社会的概念です。
という知識、情報があるのとないのとでは、
『生きる』も少し変わってくると思うのですが、
いかがでしょうか。
↓のバナーをクリックいただけるとブログランキングのポイントが入ります。
応援クリックいただけると喜びます。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。