おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
♪人は~悲しみが~多い~ほ~ど~
人には~やさしく~でき~るの~だか~ら~♪
この歌を初めて聴いたのは、確か・・・小学生だったと思います。
いつだったかはおぼろげですが、とにかく子供時代に聞いて、
「ほぉ~、なるほど~、そういうもんかぁ~」
と少し印象に残りました。
あれから30年!
生きていればみんないろいろあり、40代になった私が出会った、もう少し正確な言い回しを、
今日はご紹介します。
なんだかこの方の本ばかり紹介しているような気がするんですが・・・
「教育にとって一番大切なことは何か?」と聞かれたら、「バランスよくマイノリティー感覚を経験すること」だと思っています。
本にも書いてありますが、私もアメリカに留学したころ、それも最初のころ、
英語なんてしゃべれなくて、でも大学へ入るわけです。
寮に入って、言葉も習慣も、なにもかも慣れないところからです。
アメリカの大学は留学生が多いので、寮には必ず上級生がいて、新入生や留学生を気に掛ける係の人がいます。
そんな人がね、通り過ぎるたびに聞いてくれるんです。
「Hi, how are you?」
このね、『How are you文化』自体にも、さっぱり慣れていないわけですよ。
そして1日に何度もすれ違うたびに、何度も何度も
「Hey, how are you?」
と聞いてくれるんです。
これね、実際やられた人にはわかる気持ちだと思うんですが、
なんとも複雑な気持ちになるんです。
憐れまれているというか、義務感、でも少しの親切心もあって聞かれているということを察知します。
そうするとなんとも、情けないというか、プライドを優しく潰される感じと言いますか、
でも同時に、誰一人構ってくれない中で構ってもらえると、少し嬉しいんですよ。
そんでまた嬉しさを感じている自分が、さらに自分のプライドを亡き者にするというか。
いま思うとこれが、『マイノリティー』になる感覚でした。
そんな時に最も心地よい方法で構ってくれるのは、同じ留学生であることが多かったです。
日本人である必要はなくて、とにかく違う国から来た、違う言語に同じように苦しみ、疎外感と挫折感を感じている人の、さりげない気遣いが、いちばんしっくり来ます。
だんだん言葉もしゃべれるようになり慣れては来るものの、日々のふとした瞬間に、たまに『マイノリティー感』がひょっこり顔を出します。
『そうよね、そうでした』
と、私がその場では『マジョリティー』ではないことを思い知らされました。
そして日本に帰国すると、日本語であることがとてもありがたく感じられて、『マジョリティー感』がまるでちょうどいい温度のお風呂のように心地いいのです。
別に海外へ行かなくても、『マジョリティー感』『マイノリティー感』を味わうことはあります。
勉強はできない(マイノリティー)けど足の速い子供(マジョリティー)
初日の職場(マイノリティー)に慣れて、職場で新人さんを受け入れる(マジョリティー)
女性一人の職場(マイノリティー)ではなく、同じ会社の同僚という単位で見れるようになる(マジョリティー)
つまり人は、多かれ少なかれ、『マジョリティー感』と『マイノリティー感』を行き来しているはずです。
しかしこの『マイノリティー感』、それは、見えないふりをしたり、そこから逃げることもできるものだと、私は思います。
何が言いたいかと言うと、
「この人、マイノリティーを実感した経験に乏しいのだな」
と思う人に、たまに出会うということです。
とにかく常に誰かを下に見ていないと気が済まないオジチャン
まだ子供のような顔をして、クライアントを「あの人は何もわかっていないバカだ」と称する若者
自分が経験した苦しみと同じ苦しみを、後に続く人も経験するべきだと思っている人
なんらかのハンディキャップを持つ人は不便を被って当然だと思っている人
私だって人のこと言えないというか、
『優しさ選手権』なるものがあったとしたら入賞できない自信がありますが、
でも一定の『マイノリティー感』は実感してきた気もします。
子供らには、それなりの『マイノリティー感』を経験して、
優しい人になって欲しいと、思うんです。
そして『マイノリティー感』を味わうにはやはり海外って手っ取り早いので、
海外にはちょこちょこ連れて行きたいな、と。
観光だけでなく、現地を味わいながら。
海外でコインランドリーで洗濯したり、現地の友人に会いに行ったり、映画館へ行ったり、公園で遊んだり。
子供たちと行きたいところ、したいことが多すぎて困ります。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。