『これを失ったら』と想像することにしている

 

おはようございます。みゆきです。

12歳と10歳の息子ふたりを育てています。

 

毎朝大体、猫に起こされます。

私のベッドの脇まで来て、ニャーニャー鳴きます。

朝一で美味しいウェットフードをあげているので、

それが欲しくて鳴いているのです。

 

まず最初に、枕元のライトを薄く点けて、

猫の鼻先へ手を伸ばすと、

猫がゴリゴリと手に頬を擦りつけてきます。

 

「おはよう」

 

猫に挨拶をして、1日が始まります。

 

 

引っ越して早4ヶ月。

最初は、引っ越したばかりの非日常感のためかと思っていたんですが、

4ヶ月経った今でも、毎日思うのです。

 

 

『暮らす』が楽しい。

 

毎日毎日、同じようなことを繰り返しているし、

大したこともしていません。

 

ご飯を作って

洗濯して

仕事して

ピアノ弾いて

ご飯作って

子供とドンジャラして

テレビ見て

 

 

でも、外へ出て植物たちをチェックして、

ミントの葉をこすって指のにおいをかいだり、

ベランダに洗濯物を干すときに空を見上げたり、

寝る前にベッドでうつ伏せになって本を読んだり、

猫が遊べとしつこいので、一緒に廊下をパタパタ走り回ったり、

 

そういういつものことを大切に思えるのは多分、

 

一度失って取り戻したものだから。

 

その証拠に、

毎日の大量のご飯作りは全然愛おしくないし、

相変わらず毎日ブチブチ文句を言いながらやっています。

 

私が愛しているのはきっと、

生活の中の『ちょっとした余裕』であろう。

 

 

ひとりで寝ること

ひとりで起きること

自分のタイミングで植物に水をあげること

猫が飽きるまで猫と遊ぶこと

 

余裕がなくてできなかったそれらを取り戻したから、

かけがえのないものとして、

大切に思えているのでしょう。

 

 

ひとりで寝て起きる、なんて、

ひとり暮らしのときにはさんざんやっていたことなのに、

当時は何とも思っていなかったし、

『何かが足りない』とすら思っていました。

 

でも、一度失ってから、

また同じものを取り戻して、

それらを大切に思うなんて、

 

人って、私って、一体なんなんでしょう。

 

例えば私が、一度歩けなくなって、

そしてもう一度歩けるようになったら、

きっと『歩く』を大切に思うのでしょう。

 

洗濯機が壊れて、1週間洗濯機無しで過ごしたら、

「洗濯機サマ~ッ」

と洗濯機を崇めるのでしょう。

 

 

例えば子供たちは、

18時を過ぎても帰ってこない時、

 

『もしかして…』

 

と想像して少しドキドキして、

 

『探しに行こうかな』

 

と外を見て、

 

「ただいま」

と帰ってきてホッとして、

ということをしているのもあり、

大切さは実感しているはずです。

 

 

『もし猫が窓から逃げてしまったら』

と、

甘やかされて育った生存能力の低そうなうちの猫が

外で不安な顔をするところを想像して、

 

鳥肌が立ってその怖い想像を頭から追い出して、

改めて猫を大切に思います。

 

 

夫にしたって、

『もし彼が起きてこなかったら』と想像してみたら、

なんというかやっぱりそれは、

つまらないし寂しいし心細いし、

と思うと、

彼が好きな団子を買って帰ろうという気持ちになるのです。

 

 

だからきっと、

今あるものは全部、大切なものなんです。

 

『四十肩・五十肩の痛み』

とか

『うっとおしい訪問セールス』

のように、

なくなってせいせいするものもあるけど、

 

大抵のものは、

必要だから

大切だから

欲しかったから

持っているものなんです。

 

 

毎日のご飯作りはさて、どちらか。

なくなったときに私がどう感じるか。楽しみです。

 

 

そういうことが腹落ちした私はやっぱり、

年とったよね~。

でもそう考えると、年を取るっていいもんです。

 

#暮らす

 

#猫との暮らし

 

#自分の部屋

 

 

↓をクリックいただけると、ブログランキングのポイントが入ります。

お忙しいところすみません。。

にほんブログ村 子育てブログ ワーキングマザー育児へ

いつも応援ありがとうございます。

Xでフォローしよう

RECOMMEND