おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
なるほど。小1の壁ってこういう感じか。
学童の終わる時間とか、送り迎えとか、
保育園から大きな変化がもちろんいくつかありました。
いやしかし、それよりももっと大きな、
『扱い』の変化。
これまでの保育園はやはり、
0歳児の赤ちゃんも同じ建物の中にいるような施設で、
先生たちも手取り足取り。
でも小学生になると途端に、
『扱い』がガラリと変わるんですね。
そもそも、親が先生と話すタイミングなんてほとんどないので、
学校での様子がわかりません。
本人からの話が全て。
学童は比較的保育園に近いかもしれませんが、
とはいえ保育園のように手を出して助けてくれるわけではありません。
声がけで、とにかく何でも自分でできるようにする、って感じ。
よく考えなくてもそういうもんか、とは思うものの、
おそらく本人は、少し戸惑いがあるのだと思います。
妙に大人ぶろうとしたり、
でも甘えて八つ当たりしたり。
歩いていて手なんて、もうほぼつないでくれません。
学校へもひとりで行きたがります。
(近いとはいえまだ少し心配なので後ろからついて行っています。)
でも、ふとベッドの中などで、
「ママ、ぎゅー」
と言ってきたり。
あー、なんか、親から離れていこうとしているパワーを、
感じます。
早かったわ~、なんか寂しい~・・・
とは思わないのが私です(笑)
子供を産んでから、あまり子供が得意ではないことに気づいたので、
どんどん大きくなって欲しいです。
大きくなった彼らと遊びたいです。(遊んでくれるなら)
そしてむしろ、大きくなればなるほど、
その年ごろの記憶が残っているので、
気持ちがわかるというか、寄り添いやすいかなと。
2歳児のイヤイヤの気持ちなんて実感湧かないので、
やっぱり大変でしたし。
確か6歳か7歳ころ、
学校で習った側転をお母さんに見て欲しくて、
小さいころからずっとやっているように、
「お母さん、見て、見て!」
と庭で側転をして見せて、
お母さんが無言で笑顔で頷きました。
それで満足はしたものの、
なんというか、それまでの満足とは違うというか、
『コレジャナイ』感。
私はもはや、お母さんに見て欲しい、褒めて欲しいのではなく、
友達に見て欲しい、褒めて欲しい、と思っていたのだと思います。
確かそれ以来、
あまり母に「見て見て」と言わなくなったような。
朧げな記憶なので定かではないですが。
『親の助言は成人してから効いてくる。』
確かこれが書いてあったのはこの本だったかな。
仲の良い友達とケンカした時も、
図画工作の授業で描いた絵を先生に酷評されて傷ついた時も、
友だちの注目を浴びたくて失敗して恥をかいた時も、
もう親には言わなかったもんな。
もう長男も、私に言ってくれないことが
どんどん増えていくんでしょう。
心配だけど、いっぱい失敗して成長して欲しいなと、思います。
「失敗してもいいんだよ。
ボクはいっぱい失敗して、それでできるようになるの。
失敗しないとできるようにはならないの。」
以前、長男がお友達のママに「BABAA!」と抜かしたとき、
私に叱られた後、
長男が言った言葉です。
そう、その通り。
あとは多分、ママとパパはいつでもあなたの味方であること、
あなたを信頼しているということ、
助けが必要ならいくらでも助けるということ、
そんなベーシックなメッセージを、
引き続き発信していくだけですかね。
「お金持ちになって、ママにお城を買ってあげるね。」
どこネタなのかわかりませんがそう言っていたので、
「え、マジで?ありがとう。
いいね、お城。」
と言っておきました。
いや~、デカくなった。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。