おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
こんなご時世の中、
長男は先日、保育園の最終日を迎えました。
長男は割と、
会えなくなるお友達については、
毎日会えなくなるだけで、
会いたければ会いに行けばいいと言い、
新しいお友だちに心躍らせているようです。
しかし、お友達と違ってなかなか会えなくなるのが、
保育園の先生。
そのうちひとりは、
もう記憶がある時からずっと担任になってくれていた先生。
怒るとすごく怖いけど、
でもいちばんやさしいそうです。
最終日前夜、
その先生たちに、
お別れの手紙を書くと言う長男。
「いいね!」
と見ていました。
宛名を書き、
何を書くのか見守り、
文面の例文を言おうとしたのですが・・・
長男は何も言わず、
彼なりの言葉を
さらさらと書き始めました。
拙い字。
読むのも一苦労。
こうえんいっしょにいってくれてありがとう
いっぱいおこられたけど
いっぱいやさしくしてくれて
ありがとう
そんな文面でした。
いや~、成長。
私自身も、最近は書かなくなりましたが、
お手紙はすごく好きだし、得意です。
書くことがすぐに浮かぶタイプ。
ありきたりではない、
私らしい、相手の心に届く手紙、
そんな文面を考えるのは楽しいです。
でも、一心に文字を書く長男を見て思いました。
彼の脳が作り、手が書いている言葉は、
どこから来たんだろうって。
彼の回りの大人が、彼に語り掛けたきた言葉たちや、
・・・
・・・
本か。
私が文章を書くことが苦に感じない、
むしろ好きなのは、
きっとこれまで読んできた本のせい。
小さいころから本ばかり読んでいました。
あと、世の中にある『面白いエッセイ』などって、
いつも思うんですがね、
同じくらい面白いことをしている人、
考えている人はたくさんいるんだろうなと。
例えば私、この人の本が大好きでよく読んでいたんですが、
犬を連れてカヌーで川下りをしている人って、
他にもいると思うんです。
でも、なぜこの人が本をたくさん出しているかと言うと、
言葉が、文章が、『上手い』からなんですよね。
文章が上手くないと生きていけないわけでも、
幸福になれないわけでもありませんが、
ひとつの『武器』ではあるんじゃないかと、
思うんですよ。
以前営業職としてメールばかり書いていましたが、
メールを書くのが早いといつも言われました。
濃い内容のメールも、薄い内容のメールも、
確かにほかの人より早く書けました。
それはやっぱり、便利でした。
だからとにかくやっぱり、
「本、読ませたいね~・・・」
と夫と話していたわけです。
でも多分、大人が読んで欲しい本と、
子供が読みたい本て、
違うんだよね。
私が育った家には、
よくある『伝記もの』がたくさんありました。
暇を持て余して読み始めた記憶があります。
それで、驚いたんです。
「本て、面白いな!」と。
その後自分で読みたい本を読み始めたんですが、
息子たちはまた、私とは違うチョイスで、
本を選ぶんでしょう。
これまでの子供たちを見ている限り、
いま買おうかと思っている本は、これです。
「失礼こかせていただきます。」
初めてこれを聞いた時は、
なんて子供だましと言うか、
ダサッと思いましたが、
子供にはハマッていて、
あ、そーですか、って感じ。
迷路があったり、パズルがあったり、
お尻の絵が隠れているページがあったり、
長く遊べる本だよなと。
私としては、小学生でこの辺りを読んで欲しいんですが、
きっと違うんでしょう。
そしてあとは、
毎週図書館へ行って本を選んで借りて読む、という文化。
あー・・・図書館、閉まってるよねぇ・・・(涙)
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。